腕に肩から白毛糸のショールを巻きつけ、仰向いた胸の上にのせた手帖へ、東洋文字を縦に書いて居る。日本女《ヤポンカ》の患者の室へ、大学医科三年生が男女六人医師に引率されて入って来た。
白衣の下に女子青年共産党の服をつけた赤い顔の娘が臨床記録を書くための質問を始めた。病症の経過。生年月日 職業 過去の健康状態 父母と弟妹の健康状態
――祖父さんに性病はありませんでしたか
生物遺伝子は三代目のモルモットに最も興味がある。――然し自分は祖父の顔さえ覚えて居ない。私は手をひろげて云った。
――この答えはむずかしい。私は自分の親と自身がそれを持って居ないのを知るだけだ
――宜しい。
それから女医学生は質問した。
――貴方は饑えたことはないか?
饑えたことはないか。――否と答えたが、この入沢内科ではきくことのないであろう単純な質問は自分に強烈な印象をのこした。
社会と病との相互関係の密接さが自分を圧した。
一月三十日
二十六日間臥て居る。病院へ入ってから三週間と一日になった。
餌《えさ》は牛乳、茶、スープ、キセリ、マンナヤ・カーシャ、やき林檎とオレンジの汁、その他は自身の皮下脂肪。
これ丈永い間病臥して半流動物の食物しか摂れない経験は始めてだ。
去年の一月、グリップを患った。熱が高くて頭や頸がこわばって一寸夢中になった。少しましになってからYが 弱るから何かおあがり、何か食べたいものをお考え と日に何度となく云って呉れた。
食べたいものはあるんだけれど、駄目。
何さ、云うだけ云って御覧。そこで私はつみ重ねた白い枕の上で 云うに云われぬ 一種の笑顔になりながら 遠慮深く答えたものだ。
つめたい素麺《そうめん》がほしい。
数年前或ところで醤油の味を殆どけした極めて美味いだしでひや素麺をふるまわれたことがあった。その味と素麺のつるつるした冷たさ 歯ぎれ工合が異常な感覚的実現性をもってモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の一米ある壁の此方《こちら》まで迫って来たのだ。
臥て居た間自分の心に最も屡々現れた民族的蜃気楼は林籟に合わせ轟く日本の海辺の波と潮の香、日向の砂のぽかぽかしたぬくもりとこの素麺とであった。
勿論我々のトランクの中に そのデリケートにして白い東方の食料品は入れられてない。自分は青葱入のオムレツをたべて恢復した。零下十五度のモスク※[
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