なものの考えかたは放擲して、自身の有産的境地のゆるす範囲に※[#「革+(韜−韋)」、第4水準2−92−8]晦《とうかい》して、好色的文学に入ってしまった作家です。社会に発現するあらゆる事象を、骨の髄までみて、そこに出てくる膿までもたじろがずに見きわめる意味でのデカダニズムからははるかに遠くなってしまった。年齢と経済力とに守られて、若い幾多の才能を殺した戦争の恐怖からある程度遠のいて暮せたこの作家が、それらの恐怖、それらの惨禍、それらの窮乏にかかわりない世界で、かかわりない人生断面をとり扱った作品が、ともかく日本で治安維持法が解かれた直後のジャーナリズムを独占した、ということは私どもにとって忘れることのできない現実だと思います。
志賀直哉の「灰色の月」、佐藤春夫の作品なども同じようにはじめの四半期に現れました。が、これらの作家の作品は、私どもの文学世代がすでにその人々の足の下からはるかに遠く前進してしまっていることを痛感させたと思います。
三月から後、いわゆる働きざかりの中堅作家がジャーナリズムの上に出てきました。これらの作家がカムバックしたといわれています。「カムバック」というのは
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