この第四号になって、はじめて『新日本文学』が発行されている甲斐があらわれたようにうれしい気がしました。中野重治の「批評の人間性」という論文のほか、平田次三郎「島木健作論」、北鬼助「平林たい子論」、中川隆一「丹羽文雄論」などがのりました。三つの論文はけっしてながいものではありません。また、堂々たる大評論でもないけれど、この三つの論文を『新日本文学』がのせることのできたよろこびは、真実のこもった、ふかいものです。率直な感想をゆるしていただきますが、たとえば『新日本文学』三号までにのったような評論は、指導的な意味をもったものもあり、さもなければ各人各様がおもしろいところなのかもしれないけれども、民主主義文学の諸問題の各面をそれぞれに担当して、ずっとよんで綜合してみれば、なるほど、民主主義文学の発展のためには、これこれの問題があると、しっくり会得できるというふうな意味での客観的な多面性又啓蒙性を示したものではありませんでした。小田切さんは小田切さんでいいたい話題を、佐々木さんは佐々木さんでいいたい点を、そして、岩上順一さんや除村吉太郎氏はまた氏としての話題の運びかたです。今日新しく民主主義社会
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