の一歩を前進させたならば、それこそ日本文学の問題として意味あるカムバックです。三月ころから後いわゆるカムバックした中堅作家のほとんど全部がジャーナリズムの安易さによって活動しはじめて、自身にとっての真の文学的発展のモメントは、かえってイージーに流してしまっている点は、こんご新しい文学の発展について語るについても、けっして無関係ではありえない点と思います。
交錯する諸傾向
ジャーナリズムの上にこのようにして再登場してきた既成諸作家一人一人の傾向はたがいに錯雑しています。戦前のようではなく、戦争中のままではもとよりなく、さりとて、ほんとうに民主的になろうとし、旧套から脱して人間らしい人間に立ち上ろうとする意欲と力に満ちているというのでもない。
舟橋聖一の「毒」に示された一種の露悪的な文学の傾向があります。石坂洋次郎、丹羽文雄などもその傾向の作品を示しています。舟橋聖一、丹羽文雄などという作家は、そのときはこういう時代だったんだ、という態度でつきはなして、露悪的に戦時の現実を見て描いているのが特徴です。作家としての自己の人間的探究とか、一定の環境において人間・作家とし
前へ
次へ
全57ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング