的なものであった。帰りしなに、
「ひとりでやられたの?」と訊いて見た。
「そうらしい。しかし分らないよ」
 今野の、口の大きい顔は、そういいながら名状出来ない表情である。わたしは蔵原惟人には個人的に会ったことはない。けれども、日本におけるプロレタリア文学運動の発展の歴史と彼の業績とが、切っても切りはなせない関係にあることは、プロレタリア文学について一言でも語るものは一人残らず知っている事実である。日本におけるプロレタリア文学運動の当初から、その当時にあった客観的条件を、マルクス主義芸術理論家としての立場からたゆまず積極的にとりあげ、階級的文化運動を押しすすめて行った彼の努力は普々《なみなみ》ならぬものであった。蔵原惟人自身の芸術理論家としての発展の跡を辿って見ても彼が生活態度そのもので混り気ないマルクス主義者であったことは明らかである。彼は書斎的に、実践とは分裂させてソヴェト同盟のプロレタリア芸術論を日本に翻訳し紹介したのではなかった。解放運動の一環としてのプロレタリア文化運動、芸術運動を、常に革命運動の全体性との関係において実践して行きつつ、客観的現実に対する正しい政治的把握から芸術
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