理論の発展の萌芽を敏速にとらえ、その展開、押しすすめのためにあらゆる国際的な経験を精力的に摂取し、批判し、具体的な文化闘争の実践の中に活かした。だから芸術理論家としての蔵原惟人は、日本におけるプロレタリア解放運動全体の必然的発展とともにその前衛として発展している。資本主義日本における激化した階級対立と、その革命性の見とおし、その政治的方向を国際的見地からはっきり掴んでいたからこそ、同志蔵原はプロレタリア文化闘争において頼もしい実践的理論的指導者であり得た。彼が一九三一年六月の「ナップ」に古川荘一郎という筆名でのせた「プロレタリア芸術運動の組織問題」及八月同誌掲載の「芸術運動の組織問題再論」等の論文の検討をとおして、作家同盟の画期的な方向転換が行われ、文学の基礎が工場、農村の「真にプロレタリア的な基礎」におかれるようになり、サークル活動が勤労大衆の生活にくい入るようになった。
蔵原惟人はすべての革命的勤労大衆に親しい存在であった。
アンペラ草履をあっち向きにそろえて脱いで、後じさりに監房へ入る顔の前で、看守はガチャリ錠をおろした。だがわたしは坐らず、両手をうしろに組んで、穢い、つめたい羽目板にもたれて立ちながら、感動に満たされた心持であった。
このようにしてわれわれは鍛えられていく。何よりもその感じが深くあった。敵は中野重治を奪い、窪川をとらえ、壺井繁治をとらえ、蔵原までひっとらえて活動を妨害する。が、それで日本の湧き上るプロレタリア革命とその文化的欲求が根だやしに出来るとでもいうのだろうか。例えばわたしひとりについてみてさえも、この暴圧はプロレタリア婦人作家としての新たな決意を与えるにすぎない。みんながそうだ。プロレタリアの世界観をもつ者は敵の襲撃をも、それを受けた以上は必ず発展的に摂取する。闘いを通して、中野重治はさらに確乎たる革命詩人と成長するであろう。村山知義も鋭さを加えるであろう。捕えられた同志に代って、新たな部署についた同志たちは、また複雑な闘争を経て急速に政治的にも文学的にも発展せずにはいられない。このように敵が集中した襲撃を加えて来ることは、とりも直さずプロレタリア文化運動の拡がりと深さを意味するのだから、やがて工場、農村のプロレタリア文学通信員の中から、じりじり優秀な革命的芸術家が出て来るだろう。敵はこの力を止めることが出来るか? プロレタリアなしで彼らの資本主義生産が一日でもやって行けるか? 彼等が半封建的な資本主義的・地主的権力である限り、プロレタリアはプロレタリアであることをやめない。闘争をやめぬ。資本主義の矛盾はここにも現れて、数人の前衛をうばったことは、逆にこれの何倍かの活動家たちを生み出す結果となっているのだ。
洋々とした確信が胸にみち、自分は思わず立ったまま伸びをし、空に向いて笑った。声を出さず、ひろく唇をほころばして順々に笑った。
午後二時ごろになると、特高係が留置場へやって来てわたしを出し、二階の一室へつれ込んだ。墨汁だの帳簿だのの、のっかっていたテーブルの向う側に、黒い背広を着、顔の道具だてがみんな真中に向ってすり詰ったような表情の警視庁の特高が腰かけている。
帝大の学生の東というのを知っているだろう。その学生は青年同盟の出版物へわたしの原稿を貰っているのだといった。
「そんな学生は知らない。またそんな原稿もきいたこともない」
「そんなことはないでしょう。現にあなたの家へ行ってつかまっているんですよ」
目を凝《じっ》と据え、癖のある嘲弄的な口元で、しつこく繰返した。押し問答の後、その特高は書類鞄の口をあけ、数枚の写真をとり出した。手札形の大さで、髪にコテをあてた派手な若い女の写真などがある中から一枚ぬき出して、
「これを知っているでしょう」
と、こっち向きにして見せた。大島らしい対の和服で、庭木の前に腕組みをして立っている三十前後の男の七分身である。色白で、おとなしい髭《ひげ》が鼻の下にある。――
「――誰です?」
「知ってるでしょう」ニヤニヤしている。
「知らない」
「そんな筈はない」
「だって、知らないものは仕方がありませんよ」
「――知らないかナ。蔵原ですよ」
わたしは我知らず顔を近づけ、さらに手にとりあげてその写真を見た。洋服姿の古い写真をいつか見た覚えはあるが、こんなのは初めてであり、本物かどうかさえよく分らない。写真の裏をかえして見たら、白いところに蔵原惟人、当年三十二歳と書いてある。
「つかまったんですか?」
「あんなに新聞にデカデカ書き立てたじゃないですか」
「新聞なんか見せないから分らない。――見せて下さいな、それを」
「見せてもいいですが」
そういうぎりである。特高は椅子から立とうともせず、モスクワで会っているだろうなどといった。それにしても、一体この蔵
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