を痛感した。経営の内部にどんなことがあろうとも、女工は参与し得ないように組織されている。春になると、勧誘員に山の奥から二十人三十人と束にして、若い貧農の娘たちがつれて来られる。彼女たちはそのまま寄宿舎へしめ込まれ、十時間労働でしぼられ、用がなくなると、また勧誘員に追いたてられつつ故郷へと一団になって戻ってゆく。来年はそのときまた改めて契約される。慢性的な季節労働の性質と全然産業奴隷的な悪条件のために、製糸女工の水準は最も低いところにのこされているのである。
「奴等はなかなかうまく考えていますからね、女工さんたちに、毎月現金で賃銀を全部わたすようなことは決してやらない。帳面を一人一人に渡しておいて、字面で書き込むだけ。小遣いは五十銭、一円とかり出しの形式にしておくんです。何ヵ月か働いた賃銀は、勧誘員が女工さんたちをつれて村へかえった時、帳面と合わせて親に渡す。ですから、実質的な賃銀不払いが雑作なく出来るんです。その時になって見るまでわからないし、いよいよ不払いとわかって腹を立ててもとうに工場からは出て、ちりぢりになっているからストライキも出来ない。来年働けば、貰えると思って、ずるずるにまた契約をするというわけです。――今年はひどいね、養成工は十五銭になるやならずだからね」
日本のプロレタリア文学は、紡績産業の婦人労働者の問題をとりあげている。窪川いね子にいくつかの作品がある。けれども、生糸製糸の婦人労働者のもっと劣悪な労働条件と困難な闘争については、現実があるように大規模な構図をもっては、プロレタリア文学の中に十分、まだとり扱われていない。安瀬利八郎の短篇があるに過ない。
「――いささかここにも立ちおくれがあると云えるかも知れませんね」
とわたしは笑った。○○君は向いあって炬燵に当り、茶うけの香のものをつまみながら、
「一つ『生糸』を書きなさい。大いに後援しますよ」
と云った。
「サークルで組織的に書くことはまだ出来ませんか?」
「そこまでは行っていないね。――だが、正直なところ、私はこの頃になってやっとプロレタリア文化運動のねうちが分りましたね、サークルというものはいいね。何にでもつかえる、やって見て実際驚いた。作家同盟でも、これまで大衆化の問題では、いろいろの経験をやったらしいけれどもサークル活動で本ものになりましたね」
一九三一年の大会を通じて、作家同盟は文
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