察の近くだし、「ここじゃあないよ。大通りから右へあっちを廻ってと云ったろう?」と云うことだった。今度は番傘をさして雪の中を案内の人について、諏訪神社近くの大きい料理屋へ行った。廊下をいく曲りかしたところにドアつきの小部屋がある。西洋風に壁で一方だけに窓がひらき、大炬燵がきってある。そういう部屋に落付くと、直ぐ○○君がやって来て「ここは私の同情者《シンパ》でしてね、重宝ですよ」と笑った。
 サークルの女工さん達は七八人だが職場の都合で夜七時頃にしか集れないという話であった。寄宿にいる人は門限が九時までで、僅かしかおれないから残念がっているそうだ。大体下諏訪の製糸工場は大きいのが少く、女工さんも県内の出身が多く、通勤も相当あるので、文学サークルなども作れる。しかし文学サークルなどを企業の内部へ――工場寄宿舎の内へどんどん拡大してゆくことは相当困難である。どうしても、文学新聞や「働く婦人」を中心として、進歩的な生活気分をもっている女工さんは、工場の外で集り、企業のそとでサークルを持つ傾向がある。しかし、○○製糸工場を中心とする下諏訪のサークルに属する女工さんたちは活溌で、この前の作家同盟講演会の後、主催者であった青年団と町役場との間に問題が起った。作家同盟の誰だったかの話が、帝国主義侵略戦争反対にふれて中止をくい、一時講演者が検束された。それを口実に、町会の反動分子が自主的青年団に抗議を申込み、以来ああいう不埒《ふらち》な講演会をすることはならん、役員は引責辞職しろ、さもなければ年二百円の補助費を廃止する、とねじ込まれ、男子青年団の方は、まけて辞職し、反動にヘゲモニーをとられてしまった。ところが、共同主催者であった女子青年団の方では、悪い講演会であったとは思わぬという役員の決議で、辞職を承認せず、今もがんばっているという○○君の話であった。女子青年団の方では役員の八分が工場の女工さんで、ほとんどサークル員でしめられているというのは興味あることだった。
 ○○君は自身評議会時代から階級的闘士として立つ以前、製糸工場で「見番《けんばん》」をやっていた経験がある。私に製糸工場の組織を図解して説明してくれた。長野県だけでもおよそ九万人の婦人労働者がいる。もちろん繊維が主なのだが、製糸工場の組織をみて、わたしは、それがどんなに女工を搾取するためにだけ恥なく仕組まれているかということ
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