上、結婚生活が従来の型では行われない場合が多いらしい。プロレタリア文化活動の分野でも、運動が高まるにつれ、家庭生活も当然変化して来て、だんだん夫婦がいつも必ず一つ屋根の下に暮すことは出来ない場合がふえそうだという話が出た。
「一緒に暮せる間、万々遺憾ないように大いに積極的に暮すべきだわね」
「そんなことになると、作家同盟の婦人作家が片っ端から『愛情の問題』の傑作ばかり書いてやりきれなくなっちゃうかもしれないね」
 これには思わずみんな笑い出し、云った当人の窪川いね子も床の上に座ったなりハアハアと笑った。笑いながら、この問題はみんなの心につよく刻まれたのである。

        二

 大会が迫っていること。「働く婦人」の締切期日が来ていること。「婦人之友」に連載していた小説を書かねばならないこと。それ等でわたしは毎日忙しい。宮本もさらにいそがしく、一つの家におりながら、廊下で顔を合わせたりすると、
「どう?」
「どうしたい」
という風な言葉を交した。けやきの木の下にある二階家は活動的な空気でいっぱいである。

 四月三日の晩、小林多喜二が来た。そして、中野重治が戸塚署へ連行されたことを話した。作家同盟の事務所できいて来たのだそうだ。
「原泉子は知っているだろうか?」
とわたしがきいた。中野の妻は左翼劇場の女優として働いているのである。
「さあ、どうだろ、まだ知らないんでないか」
 小林が特徴のある目つきと言葉つきとで云った。
「電話をかけてやるといいな」
 わたしは駒込病院前の、背後から店々の灯かげをうける自働電話で築地小劇場を呼んだ。原泉子はすぐ電話口へ出てきた。てきぱきとした調子で、
「知ってます。××さんの細君が知らしに来てくれた」
と云った。
「今夜、あたし十一時すぎでなくちゃ帰れないんです」
 何のために、どの位の予定で中野重治が引致されたのか、それは原泉子にも不明であるらしかった。わたしは電話をきり、動坂の中途で紙袋に入れた飴玉とバットを買って戻った。小林多喜二は元気にしゃべって十時すぎ帰りがけに、玄関の格子の外へ立ったまま、内から彼を見送っているわれわれに向い、
「どうだね、こんな風は」
と、ちょっと肱を張るようなかっこうをして見せた。彼は中折帽子をかぶり、小柄な着流しで、風呂敷包みを下げている。宮本が、
「なかなかいいよ。非常に村役場の書記めいてい
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