れて行かなければならない。下手であろうとも、それらの文章はまず勤労婦人達が自分たちの毎日の生活を通じて階級的な主張を表現してゆく画期的な端緒であり、それこそ正しい階級の武器としてのプロレタリア文学の萌芽である。そしてまた、それはいつも下手であるとは決していえない。主題は自ら階級的見地で扱われていて、或る場合はひどく上手でさえあるのだ。今日真に創造的な婦人作家を生み得る可能をもった階級は、崩壊に向うブルジョア・インテリゲンチャ層ではない。新社会の建設に向って擡頭するプロレタリア・農民層である。
 下諏訪の女工さん達の文学サークルの活動ぶりなどは、この事実を雄弁に語っている。
 下諏訪のサークルから三月三十日に帰京し、その次の日であったか自分は下十条へ出かけた。窪川いね子は数年来下十条に住んでいた。三月二十五日頃日本プロレタリア文化連盟の関係で検束された窪川鶴次郎はまだ帰らず、出産がさし迫っているいね子は風邪で動けないという話である。
 二階へ登ってゆくと、もう数人作家同盟の婦人作家たちが来ている。いね子は床の間よりに敷いた床の上にどてらを羽織って半身起き上り、顔を見るなり、
「ああ、よく来てくれました」
と云った。
「どうなの?」
「もう大抵いいんだけど、ひどい熱が出ちまった。こないだ雨の中をビシャビシャに濡れて歩いたもんだから……」
「窪川さんは? 出られるの?」
「出られるんじゃないかしら。きっと虱《しらみ》だらけになって来ると思って、ちゃんと着物を用意しているんだけれど……こないだ行って親子丼をたべさせて来た」
 姙娠のためにやつれ、また風邪でやつれながら、窪川いね子は持ち前の落着きと微かなユーモアを失わず、おいしいお茶を入れてくれた。
「戸台さんがゆうべから帰らないのよ。どうしちゃったのかしら……」
 同志戸台は日本プロレタリア文化連盟で働いている。大体「コップ」に対する官憲の妨害は書記長や同志窪川が捕えられた時に始ったのではなかった。ほとんど今年の始めから、絶えず書記局は襲われ、一人や二人、短期の犠牲者は順ぐりであった。それと闘ってやっと来ていたのだが、昨夜からまた戸台の帰らない事実は皆をやや不安にした。二十八日にブルジョア新聞が発表した「コップ」への暴圧が、逆宣伝的に報道された範囲には止まっていず、沈黙のうちに、陰険に各参加団体内部へと拡大されて行っている
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