、今は、行動へ、明るさ朗らかさへ、野生で溌溂たる生へ! と落付かぬ眼差しを動かしているのである。けれども、このはっきりした基準のない行動への衝動欲求は、非常に多くの危険と文学の崩壊の要素をふくんでいると思われる。
 行動が、歴史の積極面と結合して階級移行の方向になされ、質的変化を可能とする見とおしに立つのでなければ、この現実の客観的情勢のうちで、しかもマルクス主義のこちら側で、どのような質的内容をもった新しい行動が文学において可能であるだろうか。ファッシズムや、エロティシズムの方向をとることはさし当り見易い一つの危険である。雑誌『行動』主催で、文学の指導性座談会が催された席上で、文学における行動性について、たとえば新居格は「なんでもいいからやれば宜いと思うんだ」といっている。さらに指導性について、各自意見の混乱を示している中で、阿部知二は、はっきりファッシズムに興味をもち、人にきいたり一生懸命研究してみるつもりであると断言しているし、フランスから新帰朝の小松清はジイドの文学的節操に感歎しつつ文学における性問題のおし出しに力を入れているのである。また、自分の文学に指導性はないといいつつ中
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