河与一は、ぼんやりとながらイギリス、アメリカなどの国家社会主義的経済統制を根源とするナショナル・サルベーションの傾向(民族自救とでもいう意味であろう)に興味を示している。これらは彼らによって討議された文学における行動性、指導性、民族性の問題にふくまれている危険であるが、この座談会で、ただ一つ文学にとって積極的なモメントとなり得る諸氏共通な欲求が認められた。それは「文学が怒りを持たねばならぬ」ということにおいて一致した見解である。
 もちろんこのことも、漠然とした、そして瑣末的な実例について語られ結果はアイマイになっているのであるが、積極性に発展し得る小さいモメントをもわれわれはまめ[#「まめ」に傍点]にとりあげ、勤労階級の文学的実践をとおして彼らのうちにいささかなりともある芽をひき出さねばならないであろうと思うのである。
 本年は『百鬼園随筆』をはじめ非常に随筆集が出た年であった。またバルザック、ツルゲーネフ、チェーホフ、ジイドの全集、ついにシェストフの全集まで出版されるらしいが、それはどういう社会的情勢を反映するものであったかということにも言及すべきである。しかし今は時間がなくなった
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