ちの目的である。なぜならば歴史の今日の段階にあっては、ブルジョア・インテリゲンチア作家をそのように一見高そうで実は低いところへつなぎとめている封建的力が、現実にはプロレタリア作家のうちにも何らかの形で影を投げているのであるし、その解決は、本質上、彼らの仕事ではあり得ず、勤労階級の仕事だからなのである。
もう一つ二つわれわれの見落してはならぬことがある。本年も終りに近づいてから、舟橋聖一などによって、目下のところでは未だ方向の明らかにされていないインテリゲンチアの行動性を煽る「リベラリズム」という立場が主張されて、「ダイヴィング」などという作のでてきていること、支配階級の大衆的文化政策としてラジオのみならず出版界に宗教復興が大規模に企画されはじめている。それを反映して、本荘可宗が巧に不安の文学提唱に際してかつぎ出され流行しているドストイェフスキーを捕えてきて「新しき文学と宗教的慧智」というような論文を書いていることなどである。『三田文学』の十一月号には岡本かの子が「百喩経」という小説を書いていた。パリへ行ってきたことまでもある彼女は、「仏教と文芸はむしろ一如相即のものである」ことを主
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