いるのではなく、久内に配合して久内を破綻せしめず目的の「自由」へ送りこむために便利な単純性に、現実の体を与えれば、雁金のような発明家でもつくるしかなかったと思われるのである。
横光は「敵なればこそあの人の行動は、僕にとって何よりも自由という精神を強く教えてくれたのだ」と久内にいわせているが、敵として雁金の持っている内容は、ある精神力の水準に到達した知識人にとって、大した困難なく超越して、対手を同情し得る種類のものである。久内に対する雁金の敵としての関係は、外部的なものであって本質的なものではないのである。もし知識人にとって、現在あるがままの知識人であることに疑いを抱かせ、その精神を混乱せしめ従って社会的存在意義を危うくするものが敵であると考え得るならば、横光は、なぜ一人の実践力あるマルキシストを作中にひきこんでこなかったか。(たとえ転落しようとも、再び立ち上る力を客観的必然として持つのはマルキシストであるのだから。)
雁金のかわりに、こけつまろびつしつつも、結局は行動性のチャムピオンであるそのような人物が試験管に投げこまれれば、久内はもっと沸騰し、上下に反転し、煙を立て、作者の知的
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