追求に対しておびただしい多彩な醗酵の過程を示さざるを得なかったに違いない。それを横光の如き野心あり、発展性ある作家がどうしてやって見なかったか? 答は明瞭であると思う。横光はそのような冒険で、万一久内が対立人物と同化してしまったり、あるいは久内ともう一人の人物がもみあったまま、ついに「紋章」という一定の実験室的目的をもったガラス試験管が爆発してしまったりしては、何にもならない。そのことをよく心得ているのである。
「紋章」は初めから作者によって準備されている一定の結論のために、限度をあんばいして配置された人物の動きによって、全篇をすすめられているのである。
 ここで、私たちはもう一遍、横光の主張する自由[#「自由」に傍点]への道が、どのような社会的モメントに置かれているかということを、「紋章」についてたずねてみよう。久内は「俺は真をも善をも知ろうとは思っちゃおらんのだ。俺は他人に同情できればそれで満足なんだ」とうめいている。
 雁金を窮地におとしいれた父山下博士に対しても別居をやめてかえった久内は「父を見ても予期していたような対立的な重苦しさを感じない」それというのも「海中深く没してしま
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