思考生活を狐疑したりしている間に立って、横光は処女作「日輪」にもすでにうかがえる生活力の強引さで、自分の独断を強引に文学の中に具体化しようとしている。雁金がリアリズムの見地でリアルであるかないかは、彼にとって問題でなく、作者が自分の主張の代人である久内を自由人として鋳出すに必要なワキ役のタイプとしていかす必要にだけ腹をすえて、雁金も山下も、妻、初子すべてを扱っている。長篇「紋章」の終りに到って久内に、
「日本の国にはマルキシズムという実証主義の精神が最近になって初めてはいり込んできたということは、君も知っているだろうが、こいつに突きあたって跳ね返ったものなら、自由というものはおよそどんなものかということぐらい知っていなくちゃ、もうそれあ知識人とはいえないんだからね。これからの知識人というものは、自由の解釈いかんから始ってくるんだ。」
といわせ、その自由の内容を「自由というのは自分の感情と思想とを独立させて冷然と眺めることのできる闊達自在な精神なんだ。雁金君なんかは僕にとっちゃたしかに敵だが、敵なればこそあの人の行動は、僕に誰よりも自由という精神を強く教えてくれたのだ……。」と結論せしめ
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