たてて右からの波、左からの吸引に対し、高邁に[#「高邁に」に傍点]己れ一人を持そうとしていると観察されるのである。純文学家が「不安の文学」とともに問題としている文学における自我あるいは「自己意識」の確立の問題は、それが、マルクス主義に打ちあたってのちのブルジョア・インテリゲンチアの間に再起した個への還元の問題として、大きい社会的内容を私どもに印象づけるのである。
「紋章」については多数の人々がさまざまにそれを突いていた。その批評にあらわれた抽象的な物のいいかた、哲学の引用の様子そのものが、すでに、まざまざと今日の知識階級がどんなに古い知識の破片をうず高くかぶって、窒息せんばかりの状態におかれているかを感じさせる有様である。
 横光利一は「紋章」の久内の生きかたによって、今日大多数の小市民・インテリゲンチアが求めている階級性を絶した自己の確立感、不安、動揺の上に毅然と立つ一個の自由人の境地を示そうとしているのである。雁金八郎という、小学校をでたばかりであるが発明についての才能をもった男が、久内と対蹠的人物として「紋章」にでてくる。その雁金の存在と醤油製造、乾物製造についての発明の過程や、
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