日と全く別様な本質をもっていた。新たな世界観を我ものとして身につけ切れない自身を自覚して、自分の弱さを苦しく思う心持。インテリゲンチアの急速な階級的分化の必然はわかっているのであるけれども、自分はさまざまの理由からその移行ができないことについての自己嫌悪。そのような内容をもつものであったと思う。それらの人々の当時の不安は、自分たちの生活の無内容を、より積極的な階級進展の必然性の前に承認した意味では、ある前進的な意味をふくんでいたのであった。
 こんにち、ブルジョア・インテリゲンチア作家たちは、何かの形で、いわば、いなおっているといえると思う。文学における階級性の問題は、現在の情勢の下では、それが具体的になれば、いずれ治安維持法にうちあたる性質のものである。その現実にぶつかって見れば楽なものでないことは、勇ましげにあったプロレタリア作家たちの敗北に現れている。自分たちがそんなことに進めないし、進めなかったのはむしろ当然である。自分たちはこれでよいのだ。以上のような安価な見透しに立って、インテリゲンチア作家たちは、つまりマルクス主義のこちら側で、自己をうちたてよう、強い自己を文学の上にうち
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