執筆禁止の反響は、急速且つ深大であった。三四日後の朝日に谷川徹三氏の書いた年頭神宮詣りの記事は一般にその膝のバネのもろさで感銘を与え、時雨女史も賢い形で一応の挨拶を行った。
「人民文庫」の解散は、武田麟太郎氏としては三月号をちゃんと終刊号として行いたいらしかった。人民社中の日暦の同人、荒木巍氏など先頭に立って「もしやられたら僕らの生活を保障してくれるか」と武田に迫った由。(荒木君は中学教師となっている。)そんなこと出来るものか、じゃ解散しろ、それで急に解散した由である。武田が荒木に「では君がさっさと脱退したらいいじゃないか」と云ったら、其は困る、とねばって解散させたあたり、なかなか昭和文学史の興味ある一頁である。
 徳永直は、過去の著作の絶版を新聞に公表した。
 話によると、徳永直という名をすてる。そして通俗小説を書く。再び情勢が好くなっても決して舞い戻らないという決心をもって間宮氏に相談をもちかけた由。そう迄決心したら其もよかろうと云ったら、それはぐらりとかわって声明となってあらわれた。
「森山啓さんも絶版になさるそうですね」
「へえ? そんな本があるのかい?」
「社会主義リアリズム
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング