から行けば無理である。
「札を出して、あのお婆さんに部屋があるのか知らん」
「あるから出したのでしょう、自分達はどこか狭いところに纏《まとま》って他を空けたのでしょう。なければ出すはずはないから安心していらっしゃい」
「それはそうね、――だけれども暑くて仕方がないでしょう、ほんとうにどうするのか知らん」
好奇心に手伝われて、札が出てから一日二日の間、私は気がつくたびにこんな言葉を繰返していた。けれども間もなく仕事がいそがしくなって来るにつれてそんなことは忘れるともなく忘れていた。ところが四五日前のことである。いつの間にか下のお婆さんのところに、至極賑やかな親子連れが来ているのを発見した。それも偶然のことで、新来の一人の子が、私の部屋まで迷いこんで来たことから、始めて気がついたのである。
その日は終日、やや癇高《かんだか》なお婆さんの声に混って、もっと若やいだ丸い早口の女の声が、殆ど立て続けに何やら喋り続けているのが聞えた。何か御秘蔵の家具の説明でもしているのだろう。ときどき大きな声で感嘆詞を投げる女の声に和して、子供達が少くとも二三人群れて互に叫び合う。急にドタバタと馳けまわる足音や、飛んで行った子供達を呼び集める母親の喚び声や……。
新らしく物珍らしい場所に来た者の興奮と、新来者を迎えたお婆さんの上ずった興奮とが皆一つになって、私の部屋に侵入して来る。あの声と、あの物音に対して、その一枚の頼りない木の扉などは物の数にもならない。私は一日中、揺れる梢に竦《すく》んだ鳥のように落付かない気分で三階に縮んでいたのである。
けれども、さすがにその大騒動は二日と続かなかった。翌日はまたもとの静けさに帰って下からは、ときどき、若い母親の甘えたように低声の小唄が聞えて来たり、どの子が吹くのか可愛い笛の音などがする。心持よくそれ等に耳を撫でられながら、下に牽《ひ》かれた私の注意は、また専念に仕事にばかり集注され始めたのである。
しかし、その無関心は決して長くは続かなかった。ようよう二三日経った一昨日、閑却されかけた「二階」は急にまた私共の注意を呼び集めるようなことを見せた。それは外でもない。ついその日の朝頃までいたに違いないお婆さん一族がいつの間にか姿を消して、そのかわり後から泊りに来た四五人の親子連れが、ちゃんと二階中を独占している。それのみならず、廊下から見える居間
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