、ぼんやりと食べかけの卵に小さい羽虫が飛びつくのを眺めていた。
彼が行った頃三階にはもう誰もいなかったそうだ。しかし入口の扉は確に閉めて置いたのに明け放してある。人の気勢を感じて、大急ぎで二階へ戻ってしまったのだろう――。
彼も明かに不愉快を感じているらしい。暫く、困るな、困るなと呟いていたが、やがて地下室へ降りて、三四寸幅の板切れを一つ見付け出して来た。
「何になさる?」
私はつい彼に気の毒なような声を出してしまった。まだすっかり心の動揺が落付いてしまわなかったのである。
「これ? これで三階へ上れないようにするんです」
「上れないように? どうやってなさるの」
「大丈夫巧く出来るから見ていらっしゃい、あなたが気に入らなければ除《どけ》るから好いでしょう」
「だって、変じゃあないの、それじゃあ私はどうして上るの!」
彼も黙ってしまった。私も黙ってしまった。黙ったまま彼が長さを計って鋸を当てる木片を見ていた。見ているうちに、私の心の底には、殆ど堪らないほど醜いという感じが湧き上って来た。醜い! ほんとに厭なことだ。一構えの家の中でありながら二階と三階との間にこんな仕切りを拵える……拵えさせるようなことをする人達!
かなり激しい激動《ショック》を感じたすぐ後の私の心は、この二重の厭わしさに、殆ど目が眩むような醜陋《しゅうろう》を感じずにはいられなかったのである。彼等と自分達と相方に対する道徳的羞恥ともいうべきものが、ぐんぐんと私の胸に込み上げて来る。晴やかな朝の日光を吸って、ホヤホヤと毛《け》ばだった荒削の板の、無表情な図々しさ。非常な淋しさと不思議な憤りに私は凝《じ》っとしていられないような気分になってしまったのである。
「そんなものをなぜ拵えなければならないの、私はほんとに厭だ、ほんとに――。どうしても拵えなければ駄目なの?」
下を向き続けて赤味の上った顔を擡げながら彼は板を持って卓子の前に来た。
「若し誰が上っても拘《かま》わないなら拵えないで好いのですよ。けれども若しそれが厭ならどうにかしなければ仕方がないでしょう」
「それはそう。だけれども厭だとはお思いなさらない? もうさっきああやって、私共が気が付いたことが分ったんだから、もう気が引けて止めはしないか知ら」
「そんな敏感なら始めからやりますまい。どんな人間だって心を持っている者は、こんなことを
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