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批評が一定の立場に立ってものを言っているだけでは俳優としては得るところが少いと座談会で言われているのですが、批評のそういう型と、この座談会が雰囲気としてわれわれに印象づけるある特定なものとの間には相互的に関係しているものがないでしょうか。
永田靖氏は幕の内の連中の批評は聞くが、一般の批評を聞いて取り組むという気がないと率直に語っておられます。また、滝沢氏が、夜を徹して芸談をするのは真に批評に対し困難を感じ、もがいているからだと言っておられます。永田氏は、僕等の芝居の批評は僕等と同じ世界観を持ち、環境をも持っているものにしてもらいたいと言われています。これらの言葉は、それぞれの必然性から言われているのでしょうし、従来の所謂《いわゆる》劇評家がしきたりの上に立ってする新聞批評や、一定の立場だけを押出して芝居としての具体的な性質、芸術的効果に対して敏感な批評が、俳優の発育のためにも役立たず、心に触れる点を含んでいないことは察せられます。滝沢氏は批評の貧困を熱心に語っておられ、現在では批評家よりも演技者、演出家が語っている言葉の方が生き生きしていると、ある時期のプロレタリア作家の間に生
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