熱は、いろいろな方面から研究されながら、九度三四分から八度七八分の間を細かく縫って、一週間続いた。そして、益々チブスの疑いが増して来るとともに、私共の札幌行は、もちろん中止になった。
それを惜しがるには、あまり我々の心が病弟の上にのみ注がれていた。
若し彼がチブスだと定まれば、或る期間当然持続すべき高熱に比較的弱い心臓が堪え得るかということと、まだ根絶しない脚気が恐るべき影響を及ぼさないだろうかということが最も案じられることなのであった。
夕方事務所から帰って来ると、父は第一に病人の様子を訊ねる。
「どうだろう大丈夫だろうか?」
何にしろ体質が体質なのだから、決してこわいことはあるまいと思うがとは云いながら、彼の顰《しか》めた顔の奥では、ちょっと触れても身ぶるいの附くほど冷たい、恐ろしい考えが、はっきりと浮んでいたのは、争われない事実である。
一日の激務に疲れて帰った父を苦しめまいため、日夜の看病で少し痩せたようにみえる母を悩ませまいため、父母の互の不安と恐怖とは、皆私をクッションとして交換された。そして、いよいよ自分のうちに明確な輪郭を調え、拡がりを増して来た「あれ」に就ては、その仄《ほの》めかす一言半句さえ云い出す大胆さを私は持ち得なかったのである。
小さい弟妹もあり、全然隔離し得る室もないので、九日に彼は入院することに定まった。母はもちろん彼自身さえ、十分全快し得る確信を持って、Z病院御用と朱で書いた寝台車に乗せられて行ったのである。
それから毎日、母と私が交代に半夜ずつ徹夜しながら、室に附属している堅い長椅子の上に宿《とま》った。
食堂が揺れそうに賑《にぎ》やかだった晩餐も、病院へ行く者があったり、帰る者があったりして、まるで雑駁《ざっぱく》な寂しいものになってしまった。
睡眠不足と始終の緊張とで、私も母も、休みに家へ帰って来ると、笑いたくもなければ物を見たくもないような神経の疲れを感じた。
それでも、そんなことには容赦なく家事の下らない、けれどもなかなか見かけほど単純にはすまされないいろいろのことが、帰るのを待ちかねて一どきに押し寄せて来る。
気の毒な母と私は、結局どこへ向っても心配と、混乱からは遁《のが》れられない状態にあったのである。
そして、確かに疲れていることは母も私も殆ど同様であったかもしれないが、私には母が異常に昂奮しているように見え、母からは私が恐ろしく過敏になっているように見えたので、互にできるだけの休息と睡眠を与えようとする譲り合い、愛情から出たかなり執拗な勤めかたが、かえって互の感情を害すようなことさえあった。
入院した日からまた少しずつ熱は上昇した。
一日に二三合の牛乳を摂取するばかりで、ウトウトしながら折々、
「おかあさま、おかあさま疲れた……」
とつぶやく彼の、五尺五寸の体躯にはかなりの憔悴《しょうすい》が見え始めて、チブスの疑いはいよいよ事実として現われて来るらしかった。
ところが十二日の夕暮のことである。
その日は午後からズーッと家に帰っていた私のところへ病院から電話が掛って来た。
「奥様が、お嬢様をお呼びでございます」
とくや[#「とくや」に傍点]という女中が、いつもの通りにこにこしながら、ゆっくりした言調で私を呼びに来た。その様子を見たばかりでも、もう何ということはない軽い「おどけ」を感じていた私は、受話器を耳にあてると、殆ど無意識に、
「モシモシ奥様でございますか」
と、半分笑い、半分作り声をして云った。もちろん、忽ちふきだす母の大きな心持いい声を予期していたのである。
けれども、どうしたのか何の響きも伝わって来ないので今度は作り声をやめ、少し不安を感じながら、
「モシモシおかあさま」
と呼んでみた。
するといきなり、ふだんの母とはまるで違った声が、激しく、
「百合ちゃん、百合ちゃん! 道男さんの頭が変になってしまったよ」
と、終りの方は殆ど嗚咽《おえつ》と混同しながら、極度の混乱をもって叫ぶのを聞いた瞬間。
あらゆる力が、サアッと流れきってしまったような疲れに似た感じに撃たれると同時に、途方もない力をこめて反射的に受話器を置いてしまった。
一声の返事をも与えなかったに拘らず、これからのことが皆母にも自分にも解っているのを感じた。
それから三十分の後、父と私が病室に入ったときには、午前中見た表情とは、まるで、まるで変ってしまっている彼の上に、私の目にも見違い得ない脳膜炎の症状が、痛々しい痙攣《けいれん》と頸部の強直に伴って襲いかかっていたのである。
あの魂を引きむしられるような叫喚《きょうかん》。
あの物凄い形に引きつった十指、たえず起る痙攣のあの恐ろしい様子を、私はどんな言葉で云い表わすことができるだろう!
神よ! 全く堪らない。
それは実に、私と同様の半狂乱の真剣さで、肉親の弟の上に起った、「あの」苦難をまのあたり注視し尽した人々にのみ同感し得る感銘なのである。
必要な箇所に危篤の報が伝えられた。
すき間もなく取り囲んだ医師達によって、種々の手当が与えられた。
そして、幸《さいわい》にもごく僅かずつ、痙攣が鎮まり、今夜中の危険は十中八九なさそうにまで鎮静したのは、殆ど十二時近くであったろう。
けれども、彼の広い胸じゅうその力を集めて叫ぶ声は、殆ど黎明《れいめい》までも続いた。
三
四十度だった熱はその翌日――十三日の朝九度に落ちた。そしてかなり有難い熟睡が平穏に続いた。
十四日は、八度八分、十五日には八度まで下って、牛乳も飲ませてさえやれば四五合ぐらいずつも飲んだ。
けれども、意識はどうしても明瞭になりきらない。或るときは明るく、或るときは暗く、その律動的な素質のままに、歌ったりものを云ったりした。
大波のうねりにまかせて漂っているうちに、フーッと波頭に乗りあげるように、はっきりすると、彼は先ずきっと、「おかあさま」と呼びかける。
「おかあさま、今七月? 七月の何日? 僕なぜここにいるの」
こんなことも云った。
「そこにいるの誰? おかあさま」
「高橋さんですよ」
「高橋? 僕知らないや、こっちへ来て顔見せて。よ」
顔を見ても、声を聞いても名を云われても、彼の頭はもうそれを統一して、高橋さんという一人の看護婦の表象を作る能力を失っているとみえて、何度も何度も同じ問答を繰返しているうちに、またスーッと意識は暗くなって来るのである。
今まで、眼を明いて人の動くにつれて注意を動かしていた彼の顔からは、一つも残らず緊張の影が消えてしまう。
眼をほそくし、何ともいえない単純な、平和な、眠たい幼子の歌うような声で、“In Happy Moments Day by Day”という、彼の愛唱歌の節ばかりを口吟《くちずさ》み始める。
その緩やかな、夢見るような声の流れに耳を傾けると、あらゆる拘束や抑圧から解放された、まだ十五の男の子の素直な、単純な心の美点ばかりが、仄白くつつましやかに輝きながら、自分の心のうちに滲《し》み透って来るような心持がした。
あの夜以来、自分の否定しよう否定しようとしていた予感は、もう予感という言葉を許されないほど歴然としている事実とともに、一層しゃんとした心の用意を促がしているように思われる。
どうにもしようのない現在の状況を突きつけられて、かえって自分の理智と感情は、かなりまで調和しながら今まで見出されなかった一路に向って静かに動き出したのである。
一人の人間の死として、必ず遁れ得ず、また遁れた結果は死以上の不幸を当然彼の上に齎《もた》らされるに違いない彼の死を、一人の人間としての自分は悲しい肯定、止むを得ない肯定をもって見る。
ハアッと号泣して、彼を死なせるようにした「天の無慈悲不公平」を呪咀《じゅそ》し怨恨《えんこん》することのできない大きな、偉《おお》きな力の暗示に撃たれるのである。
若し彼に特殊の尊い能力があれば――実際彼は機械に関しては、家中唯一人の智者であり発明者であった――いろいろな点で嫌厭《けんえん》すべき悪習と、不徳に満ちた軍隊生活を送らせ、空しく砲弾の餌《え》じきにさせることは、殆ど絶対的に拒絶したいとさえ思っていた私も、今は従わなければならない偉いなる力を感じるのである。
私が、出来得るかぎり正しい、客観的な位置に心を置いて静かに考えるとき、自分の上にも、他人の上にも、よしまたそれがいかほど自分の愛している者達の上にでも肯定しなければならない力を感じる。
生の光栄のため、我々お互同志の深い愛のために、死は決して否定されないのを思うとき、ただ心臓が鼓動し、呼吸が通っているのみで、彼は生きているという一人の者の上に、私は生よりも死を選ぼうとする自分の心を思うとき、そこには僅かの感傷的空想も、甘えた涙も許されない。
精神的にも肉体的にも生きる可能の乏しい者として死ななければならない彼のいることも、その死をいかほどか歎くだろう父母のあることも、皆、ごまかすことも、逃げ出すこともできない事実である。
人間らしい辛抱強さと、勇気と愛とをもってジイッと持ち堪《こた》え、突き進んで行かなければならない現実の一事件である。
彼に死なれるのは辛い。悲しい。
けれども、今の自分は、もう三年前に五つの妹を失ったとき歎いたように、「悲しめる心」のうちにとじ籠って、かなり自分の悲しみに甘えながら歌を書いてはいられない。
彼女の生命である「我が子等」の一人を失おうとする悲しみに、どうかして取り戻したいという盲目的な有難い「おかあさまの愛」に、殆ど夢中になっている母を見ても、どうしても心は眩《くら》まない。
外からの刺戟が雑多になればなるほど、自分の心を統治して行く何物かの力は確実になって、苦しさに堪えないほど、いろいろなものはその真実のままはっきりと自分の心に写って来る。かなり恐れている自分自らの死に対しても、このときの私は平常の十分の一ほどの恐怖も、いくじなさも持たなかった。
一日一日と一つ本を読むごとに、人の話を聞く毎にだんだん自分の心にはっきりとした輝きを持って来る、生の尊さのため真の善のため、人間らしい人間になろうため、朝から夜まで命がけの努力をして行きながらでも、若しか急に明日死ななければならないことになったら、自分は死ななければならない。自分が或る場合、他の人々の上にも肯定しなければならない、死ならば、自分の上にも肯定しなければならない。近頃或る立派な美術家が、自分の死までの経過を観察しながら絶命されたことを聞いたときの感歎が心に再生して来るのを感じた。忘却も憎むことはできない。
心は非常な痛み、苦しみをもって重く深く沈湎《ちんめん》して行く。けれどもそれは、目のとどくかぎりの奥まで澄み透っているらしい心持がする。
そして明かに力の感じとなって、死のうとする者、死なれようとする者に対しての愛情が湧然《ゆうぜん》と胸に充ち渡るのを感じたとき、自分は死の肯定によって一層強められた生の光栄のために、魂が燃え上るのを感じた。
四
十六、十七の両日の間に、すべての状態は漸次《ぜんじ》死に近づいて来たらしい。
熱の下降と脈搏の著しい増加を来して、十七日の夕刻には発病後始めて、百の脈搏と七度七分の温度とが記入された。そして、すべての精神作用は、全く休止してしまったのである。彼の骨だらけな手を撫でながら、ポロポロ涙をこぼしている母の悲痛な顔を見、涙を拭き拭き気をとりなおそうとするらしく頭を振る父の「いい顔」を見ると、私はほんとうに何とも云われない心持がした。
親達の生きている間は、死ねないと思わずにはいられなかった。
もうかなりの年になっている両親にとって、十五年の間限りない心遣いと、限りない望をかけて育てて来た息子を今失うことは、全くどのくらいの打撃であろう。泣き伏している母も、「大きな男だがなあ」と歎息する父をも、そおっと自分の胸に抱き擁《かか》えて、泣きたいだけ泣かせてあげながら、自分も眠くなるほど
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