父から送ってくれた、美くしい飾珠《かざりだま》の一杯ついた馬具をつけた彼が、小さい銀の鈴を鳴らしながら「おんま、ハイチハイチ」と這って行く。
 彼が運転手になった、屏風《びょうぶ》箱の電車にのって、私共は銀座へ行った。
「軍艦の、軍艦の、軍艦のハ――」
 木作りの軍艦に紐《ひも》をつけて、細い可愛い声で歌いながら、カラカラカラカラと廊下を往復している彼、その時代の私達姉弟の思い出が、あまり楽しいので、いとおしいので、私は辛抱しよう、しようと思いながらつい涙をこぼしてしまった。
 それからそれへと、果もなく延びて行きそうだった追憶は、彼の激しい喘鳴のうちから、明瞭に聞かれた「どこへ」というつぶやきによって破られた。
 明らかに疑問のアクセントを持った、「どこへ」というあとについて聞きとれなかったもう一つの響きが続いた。
「どこへ?……」
 自分は、驚きとともに反問するように彼の顔を見た。
「どこへ?……」何の意味があるのだろう。
 すっかり青ざめた額一面に、膏《あぶら》が浮いて寂しく秋の日に光っている。
「どこへ?……」自分はこの言葉から、無数の思いを繰り出せる。けれども、彼がそんな意識をもって云ったのでないことは明らかである。
 けれども……私はこの一句から先へ進むことはできなかった。何かあるに相異ない、何があるだろう。自分は心に浮んで来るいろいろなことを、あれでもないこれでもないと選《よ》って歩いた。
 どれもこれもそうらしいのはない。単に偶然発された言葉と解釈するほかないのだろうか。もう少しで、この一句を遺して行こうとしたとき、フト思いついたことがある。けれどもそれはあまり恐ろしいことである。私は彼がいつか一種の輪廻《りんね》説のようなことを信じていると云ったのを思い出したのである。
 そのとき彼は――多分去年中のことであった――若し自分がこの家でないどこかの家に生れて、食べる物もなければ、着るものもなく、何かといってはすぐ擲つような親の子になったら、どんなに情けなかったろう。
 そして、死んでから生れ換るとき、若し自分がいつもいつも可哀そうだと思っている宿無しの小っぽけな犬や、鞭でピシピシたたかれながら、何にも云えずに荷を挽《ひ》く馬などになったらどんなに苦しいだろう。
「いくら何か云おうと思っても口もきけないんだものなあ、僕そう考えると全くこわい。僕どうした
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