それは実に、私と同様の半狂乱の真剣さで、肉親の弟の上に起った、「あの」苦難をまのあたり注視し尽した人々にのみ同感し得る感銘なのである。
必要な箇所に危篤の報が伝えられた。
すき間もなく取り囲んだ医師達によって、種々の手当が与えられた。
そして、幸《さいわい》にもごく僅かずつ、痙攣が鎮まり、今夜中の危険は十中八九なさそうにまで鎮静したのは、殆ど十二時近くであったろう。
けれども、彼の広い胸じゅうその力を集めて叫ぶ声は、殆ど黎明《れいめい》までも続いた。
三
四十度だった熱はその翌日――十三日の朝九度に落ちた。そしてかなり有難い熟睡が平穏に続いた。
十四日は、八度八分、十五日には八度まで下って、牛乳も飲ませてさえやれば四五合ぐらいずつも飲んだ。
けれども、意識はどうしても明瞭になりきらない。或るときは明るく、或るときは暗く、その律動的な素質のままに、歌ったりものを云ったりした。
大波のうねりにまかせて漂っているうちに、フーッと波頭に乗りあげるように、はっきりすると、彼は先ずきっと、「おかあさま」と呼びかける。
「おかあさま、今七月? 七月の何日? 僕なぜここにいるの」
こんなことも云った。
「そこにいるの誰? おかあさま」
「高橋さんですよ」
「高橋? 僕知らないや、こっちへ来て顔見せて。よ」
顔を見ても、声を聞いても名を云われても、彼の頭はもうそれを統一して、高橋さんという一人の看護婦の表象を作る能力を失っているとみえて、何度も何度も同じ問答を繰返しているうちに、またスーッと意識は暗くなって来るのである。
今まで、眼を明いて人の動くにつれて注意を動かしていた彼の顔からは、一つも残らず緊張の影が消えてしまう。
眼をほそくし、何ともいえない単純な、平和な、眠たい幼子の歌うような声で、“In Happy Moments Day by Day”という、彼の愛唱歌の節ばかりを口吟《くちずさ》み始める。
その緩やかな、夢見るような声の流れに耳を傾けると、あらゆる拘束や抑圧から解放された、まだ十五の男の子の素直な、単純な心の美点ばかりが、仄白くつつましやかに輝きながら、自分の心のうちに滲《し》み透って来るような心持がした。
あの夜以来、自分の否定しよう否定しようとしていた予感は、もう予感という言葉を許されないほど歴然としている事実
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