権力に未熟な産業資本が結合したもので、土地小作の関係は実に古い封建制度のままもちこされた。そのために日本の農村の貧困は甚しく農家から貧乏のために一年幾ら、二年幾らと前借金して工場に集められた小さな娘たちの生き血が搾られた。そして工場に二年ぐらい働いていると悪い労働条件のために肺病となるものの率が多く、その娘たちは田舎の家へかえって不幸のうちに死んでしまう。工場ではそれに対して責任を負わない。工場の衛生問題、早期発見などということは関心をもたれなかった。紡績工場の生活がその労働や懲罰の方法、寄宿舎生活の内容において、どんなに非人道なものであったかということは、「日本の紡績女工のひどさは実に言語道断です」と、明治四十年代に、桑田熊蔵工学博士が議会でアッピールして満場水をうったようになった、と記録されているのをみても分る。また細井和喜蔵の「女工哀史」は日本の悲劇的記録である。第一次ヨーロッパ大戦後に出来た国際連盟の世界労働問題の専門部では、日本の労働者のおかれている条件は全く植民地労働の条件だと定義された。つまり世界労働賃金平均の半分から、三分の一の賃金で日本の労働者は働いていた。しかもその
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