世界的にみると植民地的労働賃金である男子労働賃金に対して女はさらにその三分の一から半分で働かされた。今だって決してすべての婦人労働者の賃金は男と同じにはなっていない。日本の紡績女工の賃金の低さは世界の注目をひいているわけであった。
昔の日本では大抵田舎のお婆さんが綿を紡いで自分で染めて織って家内の必要はみたしていた。ところが紡績が発達して一反五十銭、八十銭で買えるような時代になると、農家の人々は、どうしてもそういう反物を買うようになった。貧乏のために娘を吉原に売るよりはまだ女工の方が人間なみの扱いと思って紡績工場に娘をやって、その娘は若い命を減しながら織った物が、まわりまわってその人たちの親の財布から乏しい現金をひき出してゆくという循環がはじまった。日本の農村生活は封建と資本主義生産と二重の重荷を負って生きて来たことは、この簡単な堂々めぐりを観察しただけでも十分にわかると思う。
今日衣服、服装の問題は社会的な問題で、決してただ個人の趣味だけのことではなくなった。ただひとこと「おしゃれをしている」といわれる人のおしゃれを、はっきり開いた眼でみれば、その女の人の生活の裏がこのインフレー
前へ
次へ
全19ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング