で出版されたマルグリット・オードウの「孤児マリー」という独特な小説があった。この小説の作家、マルグリットはパリのつつましい一人の裁縫師であった。裁縫工場に勤めて働いている裁縫女工ではなくて、個人から小さい註文を受け取って働くお針さんであった。
 孤児として修道院で育てられたマルグリットは、農家の家畜番をする娘として働き、やがてパリに来て初めは裁縫工場に働き、やがてお針さんをしているうちに眼が悪くなり、だんだん手さぐりで縫うよりしかたがないようになった。長い間本をよむことや書くことが好きであったためマルグリットは遂にお針を止めて書くようになり、そして「孤児マリー」と「町から風車場へ」など、フランスの婦人作家に珍しい純朴な美しい作品をかいた。
 このように、孤児のお針さんであった人が、小説も書くようになったということにはフランスの社会のどこにかある民衆の文化性の高さ、ゆたかさが思われる。マルグリットの文学の真似のしようのない美しさ純粋さは、視力を失うほど生活とたたかい、その苦しい生活の中にも理想をもって人間らしく生きようとした思いの凝固《こりかたま》ったものとして作品の中に溢れている。
 日本でも女の人ならお針だけは出来るからと、お針の内職を思いつくことは決して少くない。「和服仕立て致します」「裁縫致します」と細長く切った紙に書いた広告はその家の前に大きく堂々と掲げられていることは殆どない。小さい紙に女のいくらかたどたどしい字で「和服裁縫致します。何番地何某」と、姓だけしか書いてない紙が板塀や電信柱に貼られている。そこに、和服裁縫の内職という仕事にからみついている独特な雰囲気がある。
 この節のようなインフレーションでどの家でも貯金もなくなり、子供に一本の飴でも食べさせたいため、また夫の誕生日にすきなものの一つも食べさせたいというつまり妻や母の気持で、紙に「裁縫致します」と書くことになって来ている。けれどもこの「和服裁縫いたします」の貼紙は、何とまざまざと、日本の家庭というもののよるべなさ、妻の活動能力の低さ、切ないこころをつつむにあまる姿で示しているだろう。一九四七年の日本インフレーションのこんなすさまじい波風にもまれて、電柱に和服裁縫内職の紙のひらめいている光景は、実に悲惨な時代錯誤の感じを与える風景だと思う。樋口一葉の小説の中にあるにふさわしい風景だと思う。
 こ
前へ 次へ
全10ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング