世界的にみると植民地的労働賃金である男子労働賃金に対して女はさらにその三分の一から半分で働かされた。今だって決してすべての婦人労働者の賃金は男と同じにはなっていない。日本の紡績女工の賃金の低さは世界の注目をひいているわけであった。
昔の日本では大抵田舎のお婆さんが綿を紡いで自分で染めて織って家内の必要はみたしていた。ところが紡績が発達して一反五十銭、八十銭で買えるような時代になると、農家の人々は、どうしてもそういう反物を買うようになった。貧乏のために娘を吉原に売るよりはまだ女工の方が人間なみの扱いと思って紡績工場に娘をやって、その娘は若い命を減しながら織った物が、まわりまわってその人たちの親の財布から乏しい現金をひき出してゆくという循環がはじまった。日本の農村生活は封建と資本主義生産と二重の重荷を負って生きて来たことは、この簡単な堂々めぐりを観察しただけでも十分にわかると思う。
今日衣服、服装の問題は社会的な問題で、決してただ個人の趣味だけのことではなくなった。ただひとこと「おしゃれをしている」といわれる人のおしゃれを、はっきり開いた眼でみれば、その女の人の生活の裏がこのインフレーション地獄の下でどうやりくりされているか見えるようなおしゃれもある。
ここで、誰のために何を縫うのかという質問は、もっと身に迫って、私たちは、どういうものを自分で着られるような社会にしようとしているのかということが問題になってくる。近代の資本主義の社会で裁縫は一つの職業になった。アメリカなどでも労働者の比率から見ると被服工場に働いている婦人労働者が第一位を占めている。アメリカの能率のよい生産行程では、一つの型紙でもって電気鋏で一度に数百枚の切れ地を切って電気ミシンで縫う。
特に裁縫ではいろいろ細工がある。衣料関係の労働は、こういう大量の既製品製作ばかりではない。金モール細工をする人、刺繍をする人、さけた布地をつぐ専門家、大体それは女の仕事であった。或は、立って働くには不便な不具の男の仕事とされた。アンデルセンの「絵のない絵本」の一番初めの話は、高い屋根裏の部屋で朝から晩までモール刺繍をして暮している娘の窓に月が毎晩訪れて、お話をして聴かせるという話だったと思う。都会の屋根うらのそういうふうな娘の人生を、アンデルセンは悲しい同情をもって理解した。
またこんどの大戦前に堀口大学氏の訳
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