られたことがあった。
 友情というものはただ男と女とが組みになって遊んでいるというよりも深い本質に立つものである。感情の三分の二ほどは恋愛的なものだが、その責任を互にさけて、対外上にも友情の仮面を便宜としているという風な自堕落なものでもないと思う。
 少年少女時代から一緒に種々様々な行動をして育つ外国の両性たちの間に、細かい礼儀のおきてがあって、たとえば女の子は決して自分の寝室に男の友達を入れないという慣習などは、建物の構造が日本とはちがっているという条件からばかりでなく、やはり一方に自由闊達な両性の交際が行われている社会の習慣が、その半面にもっているけじめなのだと思う。
 日本の今日の実際にふれて周囲を見わたすと、大部分の人々の青春は、両性の友情などというものからは、思うよりも遙かに遠くおかれて過されているのだと思う。兄妹がいて、それぞれ学校生活をしていたり勤めたりしている人たちでも、なかなか互の友人たちを家庭の内で紹介しあって、淡白に愉快につき合ってゆくという習慣はできていない。家庭の雰囲気と若い男女たちの生活感情との間に見えないギャップがあって、相当の年ごろになった娘や息子は、友
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