生じがちなのは、我知らずそこに、自分たち日常の現実にあらわれている関係のきまった男との間に在るいきさつとは異った気分、より圧迫の少い、女としてより負担と責任との軽い、それゆえより人間として自分を溌剌とさせると感じられる気分だけを主観的に求めて、友情というものの責任観を十分身につけていないところから生じていると思う。
男性たちにしても、女が生きて来たと同じその歴史のうちで生長して来ているのだから、同じような感情のあいまいさや節度の不分明なところを弱点として持っているのは当然である。紛糾は女性が自分の感情の本質をはっきり知っていないことからひき起るばかりでなく、男性が両性感情でまだ未熟粗野であることからもおこって来ているのである。
河合栄治郎氏が余程以前アメリカに留学しておられた時分、友人であった一人のロシア生れの女性が、非常によく両性の友人としての交際に訓練されていて、そのために氏は多くのことを学び、男と女との間に友情がまっとうされるためには守るべきいろいろの限界が在ることと、そして、それを守る節度によってますます友愛はそのものとして清潔に美しくあり得ることを知ったよろこびを語ってお
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