ぐれでございます。まるで眺望がないから陰気でいやだと申しましてね。近頃おはやりの土地開放とやらの真似事でございましょう」
 二人は声を合わせてそっと笑った。
「お宅では? 定めしいいところにあれでございましょう」
 夫人はみや子に問いかえした。
「まあ私共などはそれどころではございません」
 思わず地声で高く言ったみや子は、紛らすように顔をそむけて咳払いをした。彼女はむせたような、ややわざとらしい低声で云った。
「日下部も元気なようでも年でございますから、近頃はよく日曜にかけて気楽に暖い海辺にでも参りたいと申すのでございますが――矢張り手頃なところはもうちゃんと何方かがお約束でございましてね」
「本当に――お国元ももう少々近うございますとよろしいのですが」
 みや子はやがて、空想に浮ぶ沼津の風光の美しさに我知らず恍惚《うっとり》したように呟いた。
「沼津あたりはさぞおよろしゅうございましょうねえ、上つがたのお邸さえございます位ですもの。――年をとりますと不相応な我ままが出まして、宿はどのように鄭重にしてくれましても何処となし落着のないものでございます……」
 子爵夫人は、蒼白い気の優し
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