爺に引っぱられてもとの店に戻された。三度目に、彼が涙をこぼして頼んだのでやっと家にいていいことになった。ぬいは、口が利けないだけで彼はどんなに苦労しているのかと思うと、会った時、一度はちょいと、
「ほんとうにお気の毒だと思ってよ」
と云わずには気のすまない心持がした。唖は耳がきこえないから、ぬいが知っているただ一つの方法――言葉で喋ること――では、ただ一つの告げたいことさえ告げることが出来ない。
 いろいろそういう気持だのに、半町のところでも黙りこくって清二と家まで歩いて来なければならなかったら、どんなに工合わるかっただろう。
 十五分ばかり経つと、清二が、太い羽二重の兵児帯をしめてやって来た。
「ア、ウ、ウ」
 彼は、炉の横に坐って挨拶した。
 母親は、やはりわからないくらいにだが当惑した風で、普通の人に云うように、
「ええお天気でござります」
と云いながら、茶を注いで出した。清二は、それを飲むと、直ぐ下してねかしてある柱時計を指さした。母親はいそいで合点した。清二は、節の高い指で裏蓋をあけ、複雑な機械のあちらこちらを試していたが、ぬいと母親と二人の方を見ながら、何かを掌にあけ、頭を
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