。――……春迄」
「はい?」
「――年寄で冬はひどかろうから春迄休んで来たらよかろうと云うのだ。此方はどうともなる」
「はい」
れんは思いがけないことなので、考えながら途切れ途切れに答えた。
「はい――はい」
然し、程なく云われたことの全部の意味を理解すると、彼女の胡麻塩の頭の先から爪先まで、何とも云えず嬉しそうな光が、ぱあっと流れさした。
れんは、感謝に堪えない眼をあげて、幾度も幾度も扉の把手につかまったまま腰をかがめた。
「有難うございます。年をとりますと彼方此方ががたがたになりましてね。本当にまあ!」
彼女は、丁寧に辞宜をした。
「有難うございます」
そして、下げた頭をそのまま後じさりに扉をしめ、がちゃりと把手を元に戻して立ち去った。
部屋は再び静になった。
彼は始めてのうのうとした心持になった。「ああああ、さてこれで当分、怒っていいのか笑っていいのか、顔を見る毎に苛々するあの婆さんには、会わないですむ」四辺の静寂が四箇月ぶりで、彼に温泉のように甘美なものに感じられた。
うっとりとした彼の目には、拭きこんだ硝子越しに、葉をふるい落した冬の欅の優美な細枝が、くっきり
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