葦笛(一幕)
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)精女《ニムフ》
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人物
精霊 三人
シリンクス ダイアナ神ニ侍リ美くしい又とない様な精女《ニムフ》
ペーン マアキュリの長子林の司
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こんもりしげった森の中遠くに小川がリボンの様に見える所。
春の花は一ぱいに咲き満ちてしずかな日光はこまっかい木々の葉の間から模様の様になって地面をてらして居る。あまったるい香りがただよって居るおだやかな景色。
三人の精霊がねころんだり、木の幹によっかかったりしてのんきらしくしゃべって居る。小蜂が一匹とんで居る。
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第一の精霊 サテサテマア、何と云うあったかな事だ、飛切りにアポロー殿《ドノ》が上機嫌だと見えるワ。日影がホラ、チラチラと笑って御ざる。
第二の精霊 アポロー殿が上機嫌になりゃ私共までいや、世の中のすべてのものが上機嫌じゃがその中にたった一つ嬉しがりもせず笑いもせなんだものがあると気がるなあの木鼠奴が通りすがりの木の枝からわしに声をかけおった。何じゃろ、今日のよな日のあてものにはもってこいと云うものじゃ……
第一の精霊 嬉しがりもせず笑いもせなんだ? 一寸思えばうす暗い中にうごめいてござるプルートーかさもなくば――ものがもの故あとが一寸はつづかぬワ、マいずれその近くに違いあるまい。
第二の精霊 コレ、若い人、何をそのよにだまってござる。年はとっても私等《ワシラ》はこの通りじゃ。とりのぼせぬまでにうかれるのも春は良いものじゃワお身の唇はその様にうす赤くて――はたから見ても面白い話が湧いて来そうに見える。口あくと歯にしみる風は願うても吹いては居ぬ、サ、今のあてものでも云って見なされ下らない様でも面白いものじゃ。
第三の精霊 私しゃ考えて居るのじゃ。
第一の精霊 とは御相拶な、考える事のなさそうなお身が考えて居るとは、――今のあてものかそれともほかの事かな。
第三の精霊 自分の事を考えて居るのじゃ。あてものよりもむずかしいものと見えて、すけをたのみたいほど迷って居るワ。
第二の精霊 自分を? 若い人には有り勝な事じゃワ、自分の心を機械《カラクリ》かなんぞの様に解剖《フワケ》をしてあっちこっちからのぞくのじゃ。あげくのはてが自分の心をおもちゃにしてクルリッともんどりうたしてそれを自分でおどろいてそのまんま冥府へにわかじたての居候となり下る。妙なものじゃ。
第一の精霊 その様に覚ったことは云わぬものじゃよ。どこの御仁かわしゃ得知らんがあの精女の白鳩の様な足にうなされて三日三小夜まんじりともせなんだ御仁があると風奴がたよりをもて来た。叶う事なりゃ、も十年とびもどりたいと云うてじゃそうな。心あたりはないかな?
第二の精霊 もうその先はやめにしよう、陽気のせいか耳がいたむワ。デモナ、口のさきではどうにでも□□[#「□□」に「(二字不明)」の注記]るものじゃ、トックリと胸に手を置いて考えて見なされ、日光《ヒ》にてらされたばかりじゃなくはげた頭が妙に熱うなる骨ばった手がひえて身ぶるいが出る事が必ず有ろうナ。ヘッ罪《ツミ》作りな……
第一の精霊 若い人がござるは、年功でもない、一寸はつつしまねばならぬワイ。なんぼ春だと云うて御主のはげはやっぱりかがやいてあるのに、口元に関所を置いてとび出すならずものは遠慮なくからめとる様に手はずをなされ――そう思わぬか?
第三の精霊 思うも思わぬもわたしゃそんなひまをもたぬ、考えるにせわしいワ。考えれば考えるほどわかりにくくばかりなる心を新規蒔なおしに考え始めにゃならぬ。
第二の精霊 マ、そのまま考えたいなら考えさせて置きなされ、わし等に損は行かぬことじゃ。ところでじゃ、あの精女の姿を思い出して見なされ、思い出すどころかとっくに目先にチラツイてある事じゃろうがマア、そのやせ我まんと云う仮面をぬいで赤裸の心を出さにゃならぬワ、昨日《キノウ》今日知りあった仲ではないに……
第一の精霊(チラッと第三の精霊の方をぬすみ見しながら)ほんとうにそうじゃ、春さきのあったかさに老いた心の中に一寸若い心が芽ぐむと思えば、白髪のそよぎと、かおのしわがすぐ枯らして仕舞うワ。ほんとに白状しよう、わきを向いて居なされ――、お互さまじゃよ!
第二の精霊 わしの目玉の黒い内はハハハハ……
マ良いワ、があのシリンクスの美くしさと云うたら……ま十年若かったらトナ、お互に思うのも無理であるまいと自分できめて居るのじゃ。ましてこの頃の気候で倍にも倍にも美くしく思われるワ。
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第三の精霊はフッと首をあげて一つとこを見つめながら二人の話をきく目の中には悲しみと怒りがもえて居る。うつむきにねころんで居たのを右の手を台にして横になる、耳をすまして首が一寸かたむいて居る。
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第一の精霊 だが及ばぬ事じゃ、いかな物ずきでもしわくちゃなはげおやじに……ウフフフフフおかしい様な気もするワ、いい年をして子の様な精女の姿にうなされるとは――はかりきれない美くしさをもって居ると見える。
第二の精霊 若さと美くしさの盛の年をして居るペーン殿のこの頃の眼の光りをお主は気づいてござるか? わしのすばしこい眼の奴は、ちゃんと見ぬいてしもうたワ、恋のやっこになってござるとナ。云うまでもなくシリンクスの肌のしなやかさをしとうてじゃ。
第一の精霊 アポロー殿がとび切りの上機嫌の今日でさえ嬉しがりもせず笑いもせなんだものと云う謎はとけたワ。ペーン殿は、年がまだ若いワ、髪が房々としなやかで頬は豊かで――うらやましい事じゃ、今はなやんでござっても末の日の望はあるワ。
第三の精霊(ひくくうなされてうなる様に)私も同じ事でなやむのじゃ。ペーン殿には末の日の望があろうが私は、ただ無駄になやむばかりじゃ――。――ただ無駄に――
第二の精霊 オヤ、若い御仁は何と云いなされた?――同じ事でなやむのじゃとナ? とがめはせぬワ、無理だとも思わぬワ、じゃが、マ、ただながめるだけの事で御あきらめなされと云わねばならん様な様子をあの精女はして居るじゃ。
第三の精霊 ――
第一の精霊 だれでも一度はうけるあまったるい苦しみじゃナ。そのあったかい涙をこぼして居られる中が花じゃと、私達の様になっては思われるワ。私達が若かった時――お事位の時には幸いあの精女の様な美くしい女は居なんだからその悲しみもうすいかなしみであったのじゃ。お事の若い心にはあの精女はあまり美くしすぎたの…………
第二の精霊 ほんにその通りじゃ。美くしすぎたのじゃ世の中すべての男に――
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第三の精霊はうなだれてあっちこっちと歩き廻って居る。まわりには何となく重い気分がにじんで居る。
若い男は自分の老いた時の事を、老いた人達は自分の若かったことを思って居る。
三人ともだまったまんま木の間を行ったり来たりするうちに一番川に近い方に居る第二の精霊がとっぴょうしもない調子で叫ぶ。
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第二の精霊 来る! 来る! ソラ、あすこに、私達の――
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するどく叫んであとはポーッとした目つきで向うを見る三人の目が皆そこに集った。
白い着衣に銀の沓をはいてまぼしい様なかおをうつむけてシリンクスが向うの木のかげから出て来る。
かすかな風に黄金色の髪が一二本かるそうに散って居る。手には大理石の壺を抱えて居る。
何か考える様な風に見えて居る。
三人の精霊は一っかたまりになって息のつまる様な気持で一足一足と近づいて来る精女を見て居る。精女はうつむいたまんま前に来かかる。
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第一の精霊 もうお忘れかネ、美くしいシリンクスさん。
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少しふるえる様な強いて装うた平気さで云う。
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精女 マア、――何と云う事でございましたろう、とんだ失礼を、――御ゆるし下さいませ。
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しとやかなおちついた様子で云う。そしてそのまんま行きすぎ様とする。
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第二の精霊 マア、一寸まって下され。今もお主の噂をして居ったのじゃそこにソレ、花が咲いてござるワ、そこに一寸足をのして行っても大した時はつぶれませぬじゃ、そうなされ。
第一の精霊 ほんにそうじゃ。お主の細工ものの様な足が一寸も休まずに歩くのを見ると目の廻るほど私は気にかかる――
精女 いつもいつも御親切さまに御気をつけ下さいましてほんとうにマア、厚く御礼は申しあげますが急いで居りますから――この山羊の乳を早くもって参らなくてはなりませんでございますから――
第一の精霊 お急ぎ? それでもマ年寄の云う事は御ききなされ。
精女 お主様がさぞ御まちかねでございましょう。私は早う持って参じなければならないのでございます。
第二の精霊 ここに居る三人は皆お主をいとしいと思って居るものばかりじゃ故お主の御怒にふれたら命にかけてわびを叶えてしんぜようナ。
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この間第三の精霊は木のかげからかおだけを出して絶えず精女を見て居る。
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第一の精霊 女子《オナゴ》のかたくななのは興のさめるものじゃ、良い子じゃ聞き分けて休んでお出でなされ。
精女 まことに――我がままで相すみませんでございますけれ共お主様に捧げました体でございますから自分の用でひまをつぶす事は気がとがめますでございますから今日は御許しあそばして――
第一の精霊 お主様に捧げた? おしい事じゃ、ほんにおしい事じゃ、お主の侍るお主――ダイアナ神は御事のために命をすてて御下さらんじゃろがここに居る三人の精霊――世の中にあるだけの精霊は皆お主のためなら命までもと云うておるじゃ。まして私共の様に白髪のない栗色の髪の房々した若い精霊の目が御主に会うた時のあの露のしたたりそうな輝きと会わなんだ時のあの曇り様をお主は知ってじゃろうが……
第二の精霊 そうじゃほんにおしい事じゃ、若々しい美くしいお主は自由な体で気がるに花をつみうたをうたい舞うて居るのが良いのじゃ、「時」は遠慮なく立って幾十年か立つと私共の様な――こんなみにくくはあるまいがとにかく年を取らにゃならぬじゃ、若い中――ほんに短かい若い中を自由に美くしくすごさにゃああまりおしいワ、お主の様にましてうつくしい人ハナ、……
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この間精女はうつむいて足の先で小さな花をつっついて居る。
第三の精霊は木のかげに居るまんまで手でかおを押えて居る。
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第一の精霊 ソレ、その様に自然に咲きほこって居る花を足の先でじゃらして何も忘れて居るのがお主にはよく美くしさとつりあって居るのじゃナ。今の一日はそうして気ままに歌をうとうて舞をまうて居なされ、声の美くしい駒鳥も姿のよい紅雀もつれて来てお相手さしょう。
第二の精霊 そうして居なされ。お主にそうして居られると私共は涙のこぼれるほど安心なおだやかな心持になれるのじゃ。美くしい花をもつ人はたれかがぬすみに来はせなんだかと思いわずらうと同じに私共はなやむのじゃ。
精女(涙ぐみながらいかにもこまったらしく小さなこえで)お主さまが御まちかねでございます。
第一の精霊 御待ちかね? ダイアナ殿は山羊の乳をまってござるのじゃ、私共はまっとそれより貴いものをダイアナ殿よりまちかねて居るのじゃ。
まちかねて気の狂いそうなものさえある!
第二の精霊 お主の心の花の咲くのをまちか
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