ねて居るのじゃ、幼子の様なお主の瞳にかがやきのそわるのをまちかねて居るのじゃ。
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第三の精霊はかるくふるえながら木のかげから出て来る。精女、二人の精霊は気がつかずに居るといきなり馳って精女の前にひざまずく。
二人の精霊はあとじさりをし精女はおどろいてとび上る。
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精女 アラー? マア――……
第三の精霊 これまでに――お主を……命にかけてとまで思って居るのじゃ。
精女 お立ち下さいませ、泥がつきます。私は貴方さまにそんなにしていただくほど身分の高いものではございませんですから……
第一の精霊 云うでござる、身分の高いものではございませんですから――
 良う御ききなされ美くしいシリンクス殿。
 年老いた私共は、その若人のするほどにも思われなければ又する勢ももう失せて仕舞うたのじゃ――が年若い血のもえる人達はようする力をもってじゃ。
 身分の高い低いを思ってするのではござらぬワ。
 体中をもって狂いまわる血の奴《ヤツ》めが思う御人の前にその体をつきたおすのじゃ。
第二の精霊 私共にも、出来る力をもった時はあったが幸か不幸か自分の体をなげ出すほど美くしい精女は居らなんだ故死なずにもすんだのじゃ。
 ま十年若かったら、つくづく思われるのじゃワ。
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第三の精霊はかおを手でおおうたままシリンクスの足元につっぷして居る。指の間からかすかなこえを響かせて云う。
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第三の精霊 何とか云うて下され、美くしいシリンクス。お主のその美くしいしおらしげな目ざしで、そのしなやかな身ぶりで私の血は段々なくなって行ってしまう。アア、どうしていいやら、私は心臓ばかりのものになったのじゃあるまいか――
 かがやかしいシリンクス――、私の命の――何とか云うて下され何とでも思うままに……
精女(おどろきにふるえながらかたくなって身動きもしないで居る。壺をしっかりかかえて)
第三の精霊 だまってござるナ、何故じゃ、私のこのやぶけそうに波打って居る鼓動がお主にはきこえなんだか、この様にふるえる体がお主には見えなんだか――お主の着物はひだ多く縫うてあるに心はただまったいらな小じわ二つも入って居らぬ、何とか云うて下され、――もう私は口がきかれぬほど――
第一の精霊 精女殿、哀れに思われなんだか?
 若い人の心は悶えるのも人一倍くるしみのますものじゃ。火の様になった若人の頭に額に一寸手を置いて御やりなされ、さもなくば髪の毛の上にかるい娘らしい接吻をなげて御やりなされ。
第二の精霊 して御やりなされ、悪い大神の御とがめをうくるほどの事ではない。
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精女、ためらいながら左の手につぼをもちかえてまっしろな右の手を栗毛の若い精霊の髪の上に置く。
若い精霊は涙をこぼして居る。
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第一の精霊 キッスをして御やりなされ額の上に――
精女(はっきりと)私はお主さまに朝と夕に御手にするほかいやでございます。
第二の精霊 お主さまに――。ほんに体を捧げて御ざるワ。
第三の精霊 有がとう、美くしいシリンクス、何とか云うて下されたんだ一こと、死ねとでも――
精女(沈黙。右の手を下にたれてうつむいて居る)
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二人の精霊は向うを向いた木によっかかって何か小声で話し合って居る。
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第三の精霊 何とか云うて下され精女、死ねとでも云うて下され、たんだ一ことで良いワ。
 そのバラの花をつんで置いた様な唇からもれる言葉をきけば私は死んでも、――ナ? 死ねとでも云うて下され――
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第一[#「一」に「(ママ)」の注記]の精霊の目は狂った様に輝いて、顔中の筋肉がズーッとしまって居る。
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精女(足元を見つめたまんま震える声で)云っても良いんでございましょうか、――お死に遊ばせ。
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第一[#「一」に「(ママ)」の注記]の精霊は飛び上って精女の目を見つめ神経的に高笑をする。二人の精霊もその声にこっちを向いて二人の廻りをとり巻く。
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第一の精霊 シリンクスお主はこの若人に何をお云いなされた? あの笑い声は――あんまりとりとめもない声だったが――
精女(かおを赤くしながら無邪気に)アノ、私はこの方が死ねと云えとおっしゃいましたので申したんでございますが――この方はそれをきいて御笑いなさったまででございます。
第二の精霊 死ね? 思い切った事をお主は御云いなされた――コレ若い人、お主はそれをほんの心で聞いては大した事が出来ぬともかぎらぬ、じょうだんだと聞き流され、三つ子の云うた事だと思って居なされナ?
第三の精霊 私のほんの心できいてもなにも大した事等は起らぬ、私がこの精女殿に――まっしろけな幼児の様な心をもったこの御人にたのんで云うてもらった事じゃ。
第二の精霊 その様な事をたのむとはサテサテ――ほんとうに御主にはこの精女殿が美くしすぎたのじゃ。
第三の精霊 私はこの上もない安心を得たのじゃ。
 嬉しい事だ、のぞみの満ち満ちた事だ。
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二人の精霊と精女とは若人のうす笑をしながら云って居る事をおどろきの目を見はってきいて居る。第三の精霊は頭をかるくふって遠くに流れて居る小川を見つめるといきなり張りのある響く声で、
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第三の精霊 美くしい精女殿、お二人の御年寄――さらばじゃ、この上ないよろこびのみちたところへ行く――青い水草は私の体をフンワリと抱えて冬の来ぬ国につれて行くワ、一寸の間頭の上に置いてたもった精女殿の指のほそさとうでの白さを夢見ながら、
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三人のかおをジッと見まわす。二人の精霊はサッと第三の精霊のまわりによる。若人は思い出した様に又笑って着物をひるがえして一足前に進む。二人は一足あとにタジタジとしりぞくと若人は青草の上を白い足で目まぐるしいほどに川の方に走って行く。二人の老人はかおを見合わせてホッと溜息をつきながらだまって涙ぐみながらトボトボとそのあとを追うて行く。
精女は力のぬけた様に草の上に座ってつぼをわきに置きながら。
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シリンクス お主さまからしかられよう――私はただあの人が云って呉れと云った事ばかりを云ったのにあの人はあんなに川にとんで行ってしまった、二人の人も行って――私はマアこのひろい中にたった一人になってしまった。
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細々と云って涙をふく。川のあべこべの方から林の司のペーンがみどり色のビロードの着物に銀の飾りのついた刀をさして来る。シリンクスの涙をこぼして居る様子を見てサッとかおを赤くする。それから刀の音をおさえてつまさきで歩いて精女のわきによる。やさしげな又おだやかなものしずかな調子で、
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ペーン お前は泣いて居るネ、そして又大層美くしい。
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精女はおどろいてかおから手をはなし身をしりぞける。
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ペーン 何にもそんなにおどろくことはない。私はお前をどうしようと云うのではないから、どうして泣いて居る?
精女(沈黙。壺のふちを小指でなでながら耳をまっかにして居る)
ペーン 何故だまって居る? そんなに沈んだ泣いた眼をして居ると御前の美くしさは早く老いてしまうから――誰かが御身をつらくしたなら私は自分はどうされても仇をうってあげるだけの勇気を持って居るのだよ。
精女 誰にもどうもされたのではございませんけれ共――今ここに参りましたら老人と若人と三人の精霊が居りましてその若い人は私の前に体をなげ出しましたんでございます。そしたら年とった人達が髪の毛の上に手を置いて御あげ額に一度だけキッスして御上げって申しましたから私はその通りに髪の上に手をのせてあげたんでございます。
ペーン お前が? お前が? 私が三度あんなに心をこめた文をやったのに何とも云わない人が? そうしたらどうおしだ?
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ペーンはねたましげなイライラしたしまったかおをして手をふってせきたてる。
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精女 そうはいたしましたけど――私は何も申しませんでした。そしたら若い人は私に死ねと云え、死ねと云えと申しましたから私は云ってしまいました。
 若い人は川の方にとんで行ってしまって二人の老人もそのあとを追って行ってしまいました。私は何の事だかわかりませんで――ただ、一人ぼっちになったんで悲しゅうございました。
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いかにも小供らしい口調で伏目になりながら云う。
ペーンはシリンクスの話のあんまり子供らしいのと泣きぬれてました美くしさにみせられて頬をうす赤くしながらそのムッチリした肩を見ながら、
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ペーン ほんとうにマア、お前は美くしい体と心をもって居る事、私に御前の手の先だけさわらして御呉れ、その象牙ぼりの様な手の中に入れる事を――
精女 御さわりにならないで下さいませ。
ペーン 何故? 私はきたないものなんかは一寸もさわりゃしない――お前の手をさわりたいために私の花園で一番美くしい花の精をぬって来たほどだもの。
精女 御やめ下さいませ、何となく悪い事の起る前兆の様な気が致します。
ペーン 悪い事? 私は若い、そいで相応に見っともなくないだけに美くしい、それが若い美くしいやさしい精女に恋をする、何故悪い事だろう?
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精女沈黙。重って来た困る事にすき通る様なかおをして壺のかすかに光るのを見る。ペーンはそのかおを眉のあたりからズーッと見廻して神秘的の美くしさに思わず身ぶるいをしてひくいながら心のこもった声で云う。
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ペーン マア何と云う御前は美くしい事だ。そのこまっかい肌、そのうす赤くすき通る耳たぼをもって居る御前は――世界中にある美くしいものにつける形容詞を集めても御前の美くしさを云う事は出来まいネー。
精女 ――
ペーン お前はだまって居る。そのしまった口元、見つめた目つき――美くしい事だ、ほんとうに。ビーナス殿の頬の豊かさも眼の涼しさも御前にはキット及ばないに違いない。
精女 そんなにおっしゃらないで下さいませ、そんなにおっしゃられるほどのものじゃあございませんですから――
ペーン まっしろな銀で作った白孔雀の様な――夜光球や蛋白石でかざった置物の様な――私はそう思って居るのだよ。
 お前の御主のダイアナも月の冠をかむって御出でるから美くしいのだ、まばゆい車にのっていらっしゃるから立派なのだ。
 お前の方がよっぽど美くしいと私は思って居るのだ。
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精女、沈黙。
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ペーン ネー、シリンクス? 私は一寸ためらわずにハッキリと「お前を愛して居る」と云えるのだよ。私の前にどんな尊いものがあってもどんなに立派な人が居ても――私はお前の心から侍えて居るダイアナに誓っても――アアそれはいけなかった、月は一晩毎に変るからいつでも同じ太陽に誓ってお前を愛して居るのだよ、どうぞ何とか云って御呉れ。
 ほんとうにお前は私の命なんだから……
精女 おっしゃらないで下さいませ――どうぞ。
ペーン どうぞ云
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