本的なるものの歴史性のあらわれを、身にひき添えて一番つよく感じているのはプロレタリア作家であるとさえいえる。日本的なものということが、それだけ抽象化され、今日の大衆生活の現実との関係では、現実のありようから着実な観察の眼を引離す方向でいわれはじめた場合に、無条件でそれに賛同するプロレタリア作家もなかろうではないか。プロレタリア文学が置かれている今日の事情は、その否定の先に明示すべきものを明示し得ない制約の下にある。これは永年の根気よいプロレタリア作家をもとめた大衆の力で解決されなければならない。
 日本の左翼運動の歴史が実に若いこと、その消長の過程が日本独特な近代社会の成立の性質を反映していること等は、当然プロレタリア文学にも甚しく影響している。文学理論家として過去のそれぞれの段階に意義深い活動をのこした人々はあるけれども、運動全体の若さ、歳月の若さはまたおのずからそれらの人々の努力の裡にも見られることである。プロレタリア文学における大衆性の理解、人間性というものについての理解、民族の文学に対する理解、それらの重要な諸点は、これまでのプロレタリア文学理論の中で勿論基本的に健全にとりあげ
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