作家として暮していたわけだ。
 だから、一九一七年、ケレンスキー内閣の崩壊。ボルシェビキのソヴェト政権確立と、火花を散らす大変革がおこった当時、党指導部に参加していたり軍事委員の内部にあってプロレタリア革命の時々刻々の推移を見たという婦人作家は一人もいない。わずかに評論・報告集二冊をのこして一九二五年ごろ死んだラリーサ・レイスネルがある。レイスネルはレーニングラード大学教授の娘であった。家庭の革命的雰囲気のうちに育って「十月」が来たとき彼女はパルチザンの政治指導員であった。一度も「疲れた」と云わない美しくて若い婦人指導者として知られていた。ラデックの妻であった。ラデックが「十月」にもう反革命の組織者の一人であったことをラリーサ・レイスネルは知らないで死んだ。
 アンナ・カラヴァーエ※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]は率直に書いている。「十月革命は私の精神に途方もない擾乱と動顛を与えた。」
 構成派の影響を多分にうけ、詩集や短篇集を出版していたベラ・インベルは、「十月」が世界的な、震撼的な出来事だということは理解した。が、彼女はどんな大衆的行動にも、歴史的な市街戦にも参加しなかっ
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