人の数はどれほどだろう。解放軍の進むあらゆるところに協働する婦人の姿がある。幾万人という革命的婦人がある。だが、どれだけ新しい婦人作家が出ているだろう。過去の英国の文学史になかった作品をかく婦人作家が将来において生れる社会的基礎が現在用意されつつある。
 おくれて発達したロシアの資本主義は急速に爛熟し崩壊しはじめた。二十世紀のはじめのロシアのシンボリズムの婦人詩人ギッピウス、デカダンス文学の作者としての婦人作家が数人数えられた。なかでもウェルビツカヤが女で好色の文学をかくことで有名だった。
 文化は依然として、支配階級の手の中にあった。
 メレジュコフスキーの妻であったギッピウスは、フランス文学のデカダンスの影響をうけ、革命からはなれて、前途に何の見とおしもなくなった有閑インテリゲンツィアの無気力、人生への無興味と生存の無目的。死に対してさえ冷淡な蒼白さを、大胆に、声高く謳った。ギッピウスの詩は、腐敗したロシアのブルジョア社会が放つ気味悪い燐光として閃きわたった。
 現在、ソヴェト同盟の婦人作家として活動している婦人作家のなかの多くの人々は、もうこの時代に生れていた。ヴェラ・インベルはいろいろな用紙印刷人の父、小学校校長であった母の娘として。小官吏の娘アンナ・カラヴァーエ※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]は中学を卒業し、農村小学校の教師として赴任した頃だった。マリーヤ・マリッチはペテルブルグで教育を勉強していた。眼玉の大きい韃靼《だったん》の血の混った娘リディア・セイフリナはそのころは二十前後で、タシュケントやウラジ・カウカアズ、オレンブルグなどで舞台にたっていた。一八七五年生れのオリガ・フォルシュは絵画学校を出て、既に文学作品を発表している。そして鉄道に関係があってパリだのミュンヘンだのへ行っている。非常な勉強ずきで哲学から鉱物学、結晶学まで専門にやったマリエッタ・シャギニャーンは、当時紡績織物専門学校で紡績についての研究をやっている。――
 一九一四年に、第一次世界大戦がはじまって、一九一七年三月には、ケレンスキーの仮政府ができ、つづけて、「十月」プロレタリア革命が遂行された。
 貴族、金持たちは、出来るだけの宝石、金貨をひっさらってオデッサから、ペテルブルグの波止場からフランスへ逃げた。
 多くのブルジョア芸術家も逃げ出した。ギッピウスもフランスへ逃げ
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