界文学に、社会と文学との生きている関係を理解させた。
ロシアの豊富で雄大な自然と、そこに営まれている社会の暗い恐るべく暴虐なツァーの封建的絶対制、その上に急に花咲き出した資本主義搾取の二重のおもしの下にあって苦しみ、人生を浪費する人民の悲劇を見つづけるロシアの作家たちは、植民地成金になった十九世紀から二十世紀初頭のイギリスの暮しのらくな中流人的文学とは、まったく種類の違う芸術作品をわれわれにのこしている。
ツァーのロシア社会の暗くむごたらしい封建的な絶対制はそれを批判し、社会を発展させようとするインテリゲンツィアを流刑にさらし、監視の下におき作品発表の自由を奪った。チェルヌイシェフスキー、プーシュキン、レルモントフ、ゴーリキイみんなそういう目を見ている。ドストイェフスキーは死刑の二分前で殺されなかった。
ロシアの正直な文学者はその精神行動においてロシアの革命史からまずはなされない関係をもっている。従って作品の主題は人道主義的正義観、人間解放への熱望などで特色づけられているのだ。ドストイェフスキーの作品の悲劇的な分裂の世界は、ロシアの苦悩が正当なはけぐちとしての人民の革命的方向からはなれた結果の錯乱として、世界的な例を示している。
ヨーロッパ諸国からロシア風の情熱とよばれたロシアの十九世紀から二十世紀のはじめに、ロシアのインテリゲンツィア婦人の一部は決して眠ってはいなかった。急進的な教養のある若い婦人達の人民解放運動への参加は目醒しかった。革命家としてのヴェラ・フィグネル、数学者としてのソーニア・コ※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]レフスカヤ、十二月党《デカブリスト》の妻たちは世界にしられている。
ツルゲーニェフは、彼の「その前夜」「処女地」などで不十分であるがこの時代の進歩的ロシア女性の或る姿をかいている。ゴーリキイに婦人オルグをあつかった好短篇がある。
こうして、社会変革のための活動に少からぬ婦人が活動したけれども文学的創作の分野にはとりあげるほどの足跡をのこしていない。
その理由は明らかだ。この時代、ロシアの教育ある婦人たちは、主として貴族、大資本家、学者、などのインテリゲンツィアの間に生れているばかりだった。彼女等はフランス語を母国語のように喋った。ドイツ語で夢を見、ドイツ語で哲学、文学の本をよんだ。音楽、ダンス、手芸。立派な家庭教師を雇
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