明りょうである。ファシズムがおこったときフランスに人民戦線運動がつくられたのをはじめとして、世界の民主的方向が労働者階級の同盟者として農民、更にその協働力として進歩的な小市民、インテリゲンツィアが連帯活動におかれている。このことは、私たちに民主主義文学運動において労働者階級の文学が更に力づよいものとして発展してゆくべきことを示している。プロレタリア文学運動の業績が正しく評価、伝承されなければならないという声が昨今|漸《ようや》くあちこちにきこえて来た。このことは、民主主義が、階級間の平均化ではないということを、日本の人民が激しい二年間の経験によって理解しはじめたことを意味する。
わたしが六〇―一頁、六五―六頁にふれている点は、なぜ運動の当初プロレタリア文学だけを押し出したか(有島武郎の死前後)ということをしらべたかったからであった。
プロレタリア文学が存在しなかったというどころか、逆に何故プロレタリア文学のほかの進歩的文学が過小評価されなければならなかったかということをさぐりたかったからであった。私の書いているその評論の全主旨はプロレタリア文学の存在否定でない。
一篇の評論はその
前へ
次へ
全5ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング