プロレタリア文学の存在
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)漸《ようや》く

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)昨今|漸《ようや》くあちこちにきこえて来た。

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四七十二月〕
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 前号の『文化タイムズ』に、わたしの評論集『歌声よ、おこれ』について本多秋五氏の書評がのせられた。その書評で、私が日本にプロレタリア文学は実質上存在しなかった、と書いているということがいわれている。「プロレタリア文学なるものは、一つの歴史的な呼び名であって、言葉の正当な意味でのプロレタリア文学ではなかったという説(中略)がここに確認されている(六五―六・六〇―一頁)のは銘記されてよい」と。
 六五―六・六〇―一頁の記述が不足で不明確であったためにこういう読みとりかたがされたのだろう。プロレタリア文学の存在に関する問題は、日本の人民の文学の発展にとって公有財産であるから、明りょうにしておく責任を感じた。
 日本にプロレタリア文学運動はあった、それが在ったことは当然であ
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