ったか? そうでないのは知れている。搾取者のいるところ、必ず被搾取者としてのプロレタリア・農民が南アフリカの隅にまでも存在する。
 各々の手に握る鋤の形が違うように、機械が違うように、各国の闘争の細部にわたる具体性はある点違っているだろう。が、階級として搾取者に対した時、プロレタリア・農民にとっては黒坊も白坊もない。世界のプロレタリアート・農民として、ただ一本の国境を地球の上に持つだけだ。世界のブルジョア・地主と自分たちとの境に。
 解放運動のそういう国際情勢につれてプロレタリア文学は発展して来た。だから、よしんば個々の作品が、直接には亀戸の小さい紡績工場で闘争する女工だけを描いているとする、または九州の炭坑罷業を描いているとしても、その主題がはっきり資本主義第三期の世界経済恐慌との内国的関係において、プロレタリア・農民の政治的攻勢の展望のもとに把握、表現されていれば、基本的な解釈においては十分国際的な作品といえる。
 具体的にいい直せばこうである。例えば信州の山奥で繭安価のために貧窮し、組合の組織を求めるようになった一農夫を描くとする。われわれプロレタリア作家の眼が、ただその局部的現
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