の上で多くのものをそこから学びとったし、未来に学ぶとるだろう。しかし一九三〇年における日本のプロレタリア美術展の作品が、主題としてソヴェトにあるものとは違う、市電争議を、農民の階級闘争を捕えて来ていること、ビラ張り、集会等、労働者の日常闘争を表現していることは正しい。革命十四年目にあるソヴェト・ロシアの絵は、勝利したプロレタリアート管理の下に拡大されつつある生産を(特に五ヵ年計画によって)農業の集団化を記念碑的に表現している。白色テロルと戦いつつある日本の上野におけるプロレタリア美術展の画は、日常闘争の報告と、階級意識への熱心な呼びかけをもってる。当然そうあるべきことだ。
(二)[#「(二)」は縦中横]
ところでもう一つ、総体的に興味を感じたことは、陳列されている画が一種型にはまらぬ柔軟性を持っていることだ。描き手が若い人々で、ブルジョア美術の伝統によごされてないということが一つの理由。技術の素朴さから来る瑞々しさもまた理由の一つ。もし、技術の素朴さからだけいえば、ソヴェトの若き人々の技術だって充分素朴だ。しかし、総体の印象をつかんでいう場合、画面から来る感じ
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