にこの展覧会の画から来るような柔軟性が欠けている。日本人独特の絵のうまさが、充実した内容と、新鮮で率直な表現とで、大いに楽しき未来を約束している。

 勿論、そうだからといって、一つ一つの絵がみんな満点といえないのは明かだ。例えば、技術の不足からうんと人間の顔のかさなった大きな集団を扱ったものは、より少く効果的だ。又、或るスローガンをぶつけて人々の意識を階級的に燃焼させる必要のあるポスターは、材料の政治的把握不足から、ぼんやりしたものが多い。こういうものをやらせるとソヴェトの人間はうまい。この間うちモスクワの至るところ、活動写真館の壁にまでかかっていた反帝国主義戦争の暴露的ポスターや、「五ヵ年計画を四年で!」のポスターは材料の掴みかた、置きかた、頭がはっきりしていて、色彩的効果も素敵だった。(プロレタリア美術展では、検閲がひどくて五十三点撤回を命ぜられた。内ポスターが十六点もある。反帝国主義戦争、産業の合理化等を主題としたポスターに大したものがなかったのは、その故かもしれないのだ。)
 なかなかうまいぞと思いつつ漫画を見てゆくうちに感じた。面白いがこれ等は見たところ特に展覧会のために描
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