にこの展覧会の画から来るような柔軟性が欠けている。日本人独特の絵のうまさが、充実した内容と、新鮮で率直な表現とで、大いに楽しき未来を約束している。
勿論、そうだからといって、一つ一つの絵がみんな満点といえないのは明かだ。例えば、技術の不足からうんと人間の顔のかさなった大きな集団を扱ったものは、より少く効果的だ。又、或るスローガンをぶつけて人々の意識を階級的に燃焼させる必要のあるポスターは、材料の政治的把握不足から、ぼんやりしたものが多い。こういうものをやらせるとソヴェトの人間はうまい。この間うちモスクワの至るところ、活動写真館の壁にまでかかっていた反帝国主義戦争の暴露的ポスターや、「五ヵ年計画を四年で!」のポスターは材料の掴みかた、置きかた、頭がはっきりしていて、色彩的効果も素敵だった。(プロレタリア美術展では、検閲がひどくて五十三点撤回を命ぜられた。内ポスターが十六点もある。反帝国主義戦争、産業の合理化等を主題としたポスターに大したものがなかったのは、その故かもしれないのだ。)
なかなかうまいぞと思いつつ漫画を見てゆくうちに感じた。面白いがこれ等は見たところ特に展覧会のために描かれたものらしい。展覧会でうんとデモンストレーションをやるのもよい。同時に第二回プロ美術展から第三回が開かれるまでの一年間、われ等のプロレタリア美術家は毎日の争闘を芸術活動においてどう行って来たか、例えば戦旗、ナップ、その他に掲載された時事、政治漫画を、時間順に並べて、又一年の業績を見なおさして呉れるのも決して無意味ではないだろう、と。
(三)[#「(三)」は縦中横]
第三回プロレタリア美術展は出品点数二百十七。出品画家は百名を越えている。初めに書いたように、おしまいは四辺が暗くなってしまった位だから、こまかく一つ一つについていえない。
彫刻は、うまいもんだ。ここでも、ソヴェトと日本との実際運動の情勢の相違が現れていて興味深い。ソヴェトは革命を経験し、今全く建設時代だ。若い美術家は、そこで、彫刻において、赤衛兵を、ソヴェトの男女労働者を、世界プロレタリア解放運動のための闘士を大きく記念碑的に表現しようとして、技術がなかなか追いつかぬ。実際的には石や石膏をいじるより、例えば「文化と休みの公園」の広場に飾られてるような大骨板張の大労働者像、一九三〇年のメーデー
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