逃れる術もありますまい。もう覚悟は決めました。然しこんな哀れな百姓にも一期の願いというものはございます。それを聞いては下さいますまいか」
天狗は鷹揚に「なんだ、早く云え」と云った。
「話では、天狗は変通自在のものだと云います。私もどうせ喰われるからには、どうか一目あなたがほんとの大天狗かどうかを、見て死にたいと思います」
天狗はカラカラと笑って「雑作もないことだ。註文を出せ。どんなものにでもなってやる」と云った。
そこで百姓は腰をかがめて、願ったことは、
「この山のどの杉の木より大きな杉になって見せて下さい」
天狗は忽ち数丈の杉の大木となって、百姓の前に聳え立った。百姓はその天狗の杉の幹を手で打ち叩き、打ち叩き感嘆した。
「ああ、なんと素晴らしいことじゃ。こんな見事な杉の木を見て死ねるというのは有難い」
天狗の杉は満足気に云った。
「どうだ、もういいか」
百姓は天狗に頼んで、その次にはとても、とても大きな石になって見せてもらった。
最後に百姓は天狗に云った。「これで私も日頃から見たいと思っていた大きなものという大きなものはお蔭で見られました。せめてこの上のお願いは、あなたがどの位小さいものになれるかということです。一つ罌粟《けし》の実になって、私の掌に乗ってもらえたら思い残すところはありません」
天狗は馬鹿にしきった顔で、
「ヨシ来た。俺は何んにでもなってやる」
と小ッちゃい罌粟粒になって百姓の掌に乗った。そこで百姓は自分が人間であったことを喜びながら、その罌粟粒を口に入れ、歯でよくよく噛んでこなして、翌日、糞にしてしまった。
この話を直木三十五は、いつか聞いたことはなかったのだろうか。
三
そのほかにも、ブルジョア作家のファッショ化の一形式として、一見、自由主義的な、或は復古趣味的な作品を書くことになって、ハッキリとファッショへの途を辿っている一群の人々がある。例えば牧野信一の「ゼーロン」川端康成の或る作品などは表面個人主義的な現実からの逃避を示しながら、現在の火華の出るような階級対立の現実から自身、眼を外らし、同時に読者をも科学的な世界観から切り離してくる点において完全にファッシズムの一つの支柱としての役割を持っている。群司次郎正ははっきりと自身のペンが軍事御用ペンであることを昨今は証明しているし『文戦』の里村欣三が『
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