たのは、作者の日常生活と芸術との統一性の重要さが、一般の注意に上ってからのことである。プロレタリア文学のみならず、古来の優れた芸術家は、仮令《たとい》それが今日から見れば極めて主観的なものであろうとも、自身の生活と芸術とは常に緊密に一致させることの必要を理解していたのであった。嘗て運動の他の面に活動して来た人々が今は文学の仕事をしている、そのことはよいとして、その人々が階級人としての自己のマイナスの面に拠って、今のうちはマア小説でも書いて、という態度でやっているならば、それは決してよろこばしい現象ではないのである。
 今日の若い勤労者とインテリゲンツィアとの日常の苦痛は、職業が彼らの人間の発展のために豊富化のために全く役に立たないものであるという自覚及び一方にそういう不満は持ちながら、生活事情の一般的悪化のために従前よりも一層その職業に縛りつけられていなければならないというところにある。この矛盾に対して手早い目前の解決が見えていないことから、若い三十代の少くない部分が気力を失って現状に対して受動的な態度をとっている。経済的にその日暮しであると共に精神的にもその日暮しに陥っている。他の一
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