かし小説に於ける美というものは、戯曲や演出などに際してはその芸術家がより高いものへ向って統一している種々雑多の弱点、ごみくたそのもののイージイな展覧にだけ在るのではない。ロマンティック時代の小説のように、これもまた一種の善玉悪玉である奸智に長けた心、ヒステリックな神経的行動の誇張の中にないことも明らかである。
 以前プロレタリア作家の特等席ということが言われたことがあった。この言葉は左翼運動の他の場面に働く人々の困難、刻苦に比べて作家は同じ世界観の下にあるとはいえ、その日常の暮しは小市民的な安らかさと物質の世俗的な豊かさの可能に置かれ、小説を書いておればいいのだからという、差別的な理解の上に言われた言葉であった。日本の左翼の運動が当時若く未熟で、文化政策の面で正常な理解と指導とを持ち得なかった一種の文化主義が、この特等席の観念に現されている。このことが稍々《やや》正常に理解されかかった時期に遺憾にも組織が崩されたので、今日でも、かつて左翼的な活動をした人々の通念と日常感情の中には、古い文化主義の根が除去され切れず、残されたままにある。今日の社会の情勢の中で、多くは個人的な事情から文学の
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