ている。
「大地」や「母」などをよみ、私は、正宗さんの批評をそれだけ読んだ折にも心に感じた疑問を、一層作品の具体的な描写によって深められた。正宗さんの云われているヨーロッパの人としての優越感からの客観性が、果してこの作品の魅力となっている人間らしさを生んでいるのであろうか。或はまた、もっと複雑な何かがあるのではないかと。正宗さんの批評では、客観的態度というものを、作者が描こうとしている現実対象に心をとらわれていず、そこから自分の心をひきはなして、現実の悲喜の彼方に自分を置いた作者がその距離から悲喜をかく態度として云われていると思う。だが、バックの現実に対する態度は果してそうであろうか。
バックは、主観にとらわれたり、いきり立ったりしない筆致で描いているけれども、例えば女奴隷である阿蘭が王龍の妻にもらわれて僅の荷物を腕にかけて行くところ。その路々王龍が青い桃を阿蘭にやり、歩きながら阿蘭がそれをかじってゆくところ、赤い辻堂の場面、更に子供のために布を買う阿蘭の姿など、作者の女としての同感、同情、思いやりというものが惻々と底にながれ、感傷をおさえた描写の中に脈うっている。バックの短い伝記で
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